家を出ると、レンは一人、夜の道を早足で進んだ。住宅街を離れ、緩やかな勾配の坂を上る。街中から外れ、街灯の間隔が徐々に広がっていく。不安にはならない。むしろ、好条件だ。
向かうのは、ぎりぎり徒歩圏内にある公園だ。丘があって、やや広めの公園だが、便利な街中の生活に慣れている人にとっては、そこまで縁のある場所でもない。
休み時間、レンがひそかに心を躍らせていたことには、教室の誰も気づいていなかっただろう。いつも時間があれば本を読んでいるような人なんて、「真面目な人」と思われていて当然だ。クラスで話題になる本なんて、今人気のライトノベルぐらいで、中学生にもなると、勉強や部活が忙しすぎて、図書室に本を借りに行く人なんてそうそういない。そんな中、レンはというと、頻繁に図書室に向かっており、しかも借りてくる本の分類番号が『443』だったりするのである。普通の人であれば、『913』以外の本を手に取ることは、そこまで多くないだろう。
実際のところ、レンは借りている本を読み進めつつも、教室の話し声に聞き耳を立ててはいた。しかし、話題に上げられているライトノベルは、どうも内容が自分の好みではなさそうなことを悟り、真剣に耳を傾けるのはやめた。……元々は、物語も含めて色々な本を読んでいたけれど、今は440番台の本に夢中なのだ。中学校の図書室の440番台の本を全て読むことが、当面の目標である。
ずっとそんな調子で本を読んでいれば、考えていることがクラスメイトに伝わるはずもない。理解のあるクラスメイトばかりだから、読書の邪魔もされることはなく、必要なときにだけ話をする……「あの子は真面目な子だからね」というだけだ。本当は、夜に公園に向かう計画を、頭の中でずっと練っていたというのに。
レンは目的の公園にたどり着いた。入り口には街灯があるが、できるだけ離れたい。丘の上には街灯はなさそうなので、そこへ足を進めることにした。
丘は木々で囲まれていて、その木々の間に小道が作られている。一応公園なので、多少は歩きやすく整備されているのだが、夜だとその道も視認性が悪い。躓かないように、そっと進んだ。
丘に着くと、まずレンは周りを見渡した。……誰もいない。
そして、今度は顔を上に向けた。
「……わあ」
期待していた通りの夜空が、視界に入りきらないほど広がっていた。
本の分類番号において『440番台』というのは「天文学、宇宙科学」である。レンは、本でこの辺りの話を読むのが好きになってから、何かと夜空を見上げることが増えてきていた。でも、街灯が多い場所だと、どうしても暗い星が見えないので、いつかは街灯のないところで星を見ようと思っていたのだ。
やっと、念願の夜空を見に来ることができた。しばらくはずっと顔を上げて見ていたが、だんだん首が痛くなってきたので、レンは持ってきていたレジャーシートを地面に敷いて、その上に寝転がった。
さすがにここで泊まることはできないから、ほどほどにしておかなければならないな、ということをまず考えた。でも、ここまでわざわざ来て、周りに誰もいないなら、しばらくゆっくりしていい。堪能しよう。
本格的に星を見たいなら、望遠鏡を使うことも考えた方がいいかもしれない。でも、今はこれで十分満足だ。少し冷たい夜の空気を顔に感じながら、時間も気にせずにのんびりと夜空を眺める。風もほとんどなく、自分が動く以外の音は全く聞こえない。「この世界には、自分と夜空だけみたいだ」……そんなことを、考えていた。
そのとき、木ががさがさと揺れる音が聞こえてきて、レンは慌てて飛び起きた。来るときに歩いてきた方から聞こえた。とりあえず、敷いていたレジャーシートを雑にたたむ。まだ使っていない星座早見盤が鞄に入っているのを思い出して、鞄にレジャーシートをそのまま突っ込むのはやめた。慌ててしまっていたら、今頃早見盤が折れていたかもしれない。
これは、ここを離れるべきか、様子を見に行くべきか、どちらなのだろうか。レンは迷って、その場を動けなかった。こんなところで一人でいるのを怪しまれるかもしれない、それが恥ずかしい。なら、ここからすぐに離れた方がいいかもしれない。でも、さっきの音は、普通に道を歩いていて鳴るような音ではなかった。どちらかというと、何かが木々の中に落ちたかのような音だった気がする。
……たとえ、何かが落ちた音だったとして、その何かが物なのか人なのかも分からない。仮に人だとしても、他人に違いないのに、わざわざ気にかける義理もない。それなら、選択肢はひとつになる。ここを離れよう。
レンが、さっきの物音とは反対の方を向いたそのとき、背後から電子音が耳をかすめた。
「おっ、こっちかな?」
ついで、駆け足の音と、女の子の声が近づいてくる。
レンは、離れようと動かしかけた足を動かせないままでいた。それよりも、やけに耳につく電子音が鳴り続けているせいか、足どころか、手さえ動かせないままである。誰かの足音はどんどん近づいてくる。
背中に、抱きつかれた。
「見つけた!」
「え……!」
レンを後ろから抱きしめた手が、胴に回り、レンは後ろを向かされる。抱きしめてきた相手の顔が、目に飛び込んでくる。
「運命の相手!」
とびきりの笑顔の女の子は、恥ずかしげもなくそんなことを言って、今度は前から抱きついてきた。
「な、な、なんだよお前……!」
わけが分からない、いきなり人に抱きつかれている状況が分からない。この女の子が言った言葉も正直おかしいが、それどころではない。
「は、離せよ」
「ええーっ、せっかく、やっと会えたのに~」
ぐりぐりと胸に相手の頭がめり込んでくる。痛い。頭につけているカチューシャについたリボンと、金色の髪が、レンの胸の上でぐしゃくしゃになっている。
「おい、頭大変なことになってるから……なあ」
「あっ。ほんとだぁ。運命の人の前でこんなの……」
やっと抱きつくのをやめた女の子は、レンから少し距離をとると、ぐしゃぐしゃになった髪を手で整え始めた。その様子を、意味が分からないままレンは見ていた。
身長はほとんど変わらず、多分年齢も自分と同じぐらいだ。服は何かの制服に見えるが、少なくとも自分の学校の女子の制服でもないし、見たことがある制服でもない。それに、普通の服に比べると全体的に光沢が目立ち、ところどころに発光パーツがついているようである。多分上がセーラー、下はキュロットスカートのような……。あまり、レンはそういう服のことには詳しくない。一言で言えば「変わった服」である。
「よし!」
「……いや、あの、よし、じゃなくて……」
髪を整え終わった相手が満足そうに言ったが、全く状況が掴めない。
「あ、名前言ってなかったもんね。ごめんごめん」
「いや、名前もそうなんだけど、……」
いきなり言ってきた「運命の相手」というのも分からない、と言いかけたが、一度に二つも分かっていないことがあるなら、まずは簡単な方をはっきりさせるべきか、と思い、レンは続きを言うのをやめた。
「ん?」
「いや、なんでもない……名前は?」
レンは、なんとか冷静な顔を取り繕って聞いた。
「リン!」
元気よく女の子……リンは言った。頭のリボンが勢いで揺れる。
「あなたは?」
「俺は鏡音レン……」
こんな状況で名乗っていいのかは分からないが、場の雰囲気でレンは名乗った。
「かがみねれん?」
「そう。……で、」
少し聞くのが恥ずかしい言葉ではあるが、ここは聞くしかないだろう。
「初めに言った『運命の相手』って、どういう意味だよ」
声が震えてしまうが、リンはその様子を気にも留めず、にっこりとしている。
「言葉通りの意味なんだけど?」
「いや、根拠とか、理由とか、経緯とか、そういうのはないのかよ」
「ああ~、そういうことね!」
あはは、と笑うリンを、レンは白けた目で見る。なんなんだよ、こいつは……。
「運命の相手を探してたらね、それが自分の星にはいないっていうの。広い宇宙だから別の星にいることもあるよ、ってことでね、探り当てたのが君なの!」
「……は?」
「はるばるこの星まで飛んできたんだー」
「……待って、それって」
運命の相手を探していた理由とか、それが分かるとか、そういうのは後回しである。
「お前宇宙人なのか?」
「あー、そうとも言うね」
レンは改めてリンの全身を眺めた。……確かに変わった服だけれど、それでもコスプレの範囲に見える。でも、急に抱きついてくるようなやつだし、宇宙人でも不思議ではないかもしれない。
「でも宇宙人って呼ばれ方は嫌だなぁ。名前教えたでしょ? リンって呼んでよ、鏡音レン」
リンは不服そうな顔で言う。
「……リン、うん……いやそっちこそ、なんで鏡音レンって言うんだよ」
「え? 君がそう言わなかった?」
どうしてそうなるんだよ、とレンは思って、あれ、と思った。宇宙人に名字の概念はあるのだろうか。ないかもしれない。
「……えっと、フルネームって言って……俺の名前自体はレンだけで、鏡音っていうのは家の共通の名前で……」
こういう説明でいいんだろうか、と、レンは迷いながら話す。リンは、レンの言葉ひとつひとつにうなずく。
「うん、何か言いたいことは分かったよ! こっちの星のこと、分かりきってなくてごめんね」
「あ、ああ」
よく考えたら、なぜ言葉が通じているのか、というのも気になったが、とりあえずそれは置いておく。通じているのだからいいのである。
「つまり君はレン、って呼ぶのが正しいのかな?」
「まあ、俺がそっちをリンって呼ぶなら……」
「へえー! 私がリンで、君がレンかー!」
名前を理解したリンは表情を明るくした。
「さすが運命の相手って感じの名前!」
リンのテンションは最高潮だが、レンは、はあそうですか、という反応しかできなかった。
「……あの、その運命の相手って結局……」
名前の概念に気をとられていたが、問題はそこではない。
「何?」
「俺は全然そっちの星のことは知らないから……運命の相手が誰とか、どうやって分かったんだ……?」
運命の相手なんて、どう考えても、恋愛にまみれた頭の持ち主ぐらいしか言わなさそうな言葉だ。その上、それを宇宙のどこかにいると突き止められた理由が分からない。執念か?
「おっ、気になる?」
リンが嬉しそうに言う。
「気になるっていうか、全然理解できないだけなんだけど」
「はー。まあ無理もないかぁ。こっちの星じゃそういうのないのかもね」
レンが興味のなさそうな反応をするので、リンはため息をつきつつ、説明をすることにした。
リンのいる星では、運命の相手というはとても大事なもので、ある程度の時期になると皆、運命の相手を探し始める。大体は「電波」で相手が見つかるが、リンはその電波が、自分の星の誰にも通じなかったのだった。
「でも、そこで諦める私ではなかったの!」
「はあ……」
説明しきったリンは、堂々とした顔をした。レンは適当な返事をした。
「さっき言ったと思うけど、別の星にはいるかもしれないって聞いたの。だから宇宙関連の知識をたくさんインプットして~……」
リンは両手の人差し指を頭に突き立てた。
「猛勉強したって意味か? 」
「勉強? ……そういうのはしないよ?」
執念で勉強したならすごいと思うところだったが、きょとんとした顔を見る限り、そうではないようだ。宇宙人だと勉強の概念がないらしい。
「……じゃあそれは……頭の中に流し込んでたのか?」
「そんな感じだねえ。……なるほど、こっちの星はそういうのはないんだ」
「ないな。宇宙に行こうなんて、普通の人じゃできないから、とんでもないやつだと思ったよ」
「だって、これの方が早いし、理解に間違いもないからね」
「へえ……」
運命の相手を探す、という文化も相当だが、それ以外の文化にも驚かされることが多いな、とレンは思った。宇宙の本を読んでいて、こんなことをどうやったら想像できただろう。
「でも! こっちの星は未知のことだらけだから! レンのことも運命の相手ってことしか分からない!」
自信満々にリンは胸を張った。何も分かっていないことはさておき、わざわざ宇宙関連の知識を頭に入れてやって来た行動力はすごいのかもしれない。
「それだけしか分からなくて、よくここまで来たな……」
「それは私を誉めてくれてるの? 嬉しい!」
「いや呆れてる……」
経緯を聞いたので、レンもさすがに、リンの努力をばかにはできなくなっていた。でも、やはり自分からすると、急に現れた宇宙人であることには変わりないわけだ。
こうやって、なんでもなかった日常にはちゃめちゃなやつがやってくる展開……クラスメイトが話していたライトノベルの内容が、そんな感じだった。あまり詳しくないが、現実に起こってもいい気はしない。いくら容姿がよくても許される話ではない。……でも、目の前に現れた以上、巻き込まれることしかできない。なんだかんだで、こんなに話しているのも。
「なんか私の話だけしてるよね。レンのことを教えてよ!」
レンが呆れた顔のまま黙っていると、リンははっとした顔になり、距離を詰めてきた。
「いや、そっちが勝手に来ただけなのに」
「教えてよぉ!」
口答えを許さない勢いで手を握られる。……逃げられそうもない。
「教えるって言っても、何をだよ……」
「……うーん」
「そうなるだろ? 全く……」
何を教えてもらうかも考えないで無責任なやつ、と、レンは握られた手を振り払おうとしたが、リンは悔しそうに手の力を強めた。
「やだ、今考えるから。えっと、えっとぉ……」
全く動かせないほど手を握られるので、仕方なく腕を振り払うのは諦め、リンの言葉を待つ。
「そ、そーだ! ここってレン以外誰もいないじゃん! どうして?」
なんとか聞くことを思いついたリンは、とても嬉しそうに言った。
「まあ、こんな夜中の公園なんて誰もいないよ。むしろいたら困ると思って……」
仕方ないので答える。ある程度話したら諦めてくれないだろうか、と思いつつ。
「なんで他に人がいたら困るの? ……あっ分かった! 私を迎えに来てくれたからだよねぇ? 運命だもん!」
「そんなの一言も言ってな……!」
都合よく解釈するところが、やっぱりとんでもないやつ……! と、レンが思うか思わないかぐらいで、リンはまた、レンに抱きついた。
「運命の相手と会えたら、抱きしめるって決めてたんだもん~!」
「俺の気持ちは無視なのかよ、なんだと思ってんだよ!」
抱きしめられながら喚くと、リンは不満そうに体を離した。
「運命の相手だと思ってる……」
「ほんとかよ……」
一方的に言われると、しもべかおもちゃのような扱いをされている気がしなくもない。
「うう……でも、わざわざ人のいないところに来るなんてなんで?」
「そんなのどうでもいいだろ、そっちには関係ない」
なんでいちいち言わないといけないんだ、とレンが突っ返すと、リンは顔をしかめた。
「えっ、もしかして、何かやましいことがあるとか……? そんなっ! こんなに話に付き合ってくれてるから、いい人だと思ってたのに!」
さっきまで抱きしめていたのに、今度は後ずさりしてレンから距離をとる。ころころと表情を変えて落ち着かない。
「人聞きの悪いこと言うな! そんなんじゃない!」
「じゃあ正直に言ってよ!」
めんどくさいが、誤解されているのはどうにも気分が悪い。
「星を見に来てただけだ。ここは街灯が少ないから」
それ以外の理由はない。変に隠しても、執拗に問い詰めてきそうなので、正直に、端的に、言った。それを聞いたリンは、驚いてしばらくぼうっとしていた。
「……」
「なんだよ……」
リンが黙るので、レンは変なことでも言ったかと思って、恥ずかしくなった。いや、恥ずかしいことではないと思うのだが。
「……やっぱり運命だよ」
「は?」
まずは、妙に真面目な顔で。
「やっぱり運命だよ!」
「わっ!?」
そして、今度は顔を輝かせて、また距離を詰める。
「つまり空を見てたんでしょ、それは私が来る方を見てたんでしょ!」
「なんでそういう解釈になるんだよ」
また都合のいい解釈である。
「それに! 宇宙に思いを馳せてたのは私と一緒じゃん! やっぱりそうだよ~!」
そんなことのために空を見ていたわけではないのに……と思うレンをよそに、またリンはレンに抱きついた。レンは何も言い返せずに、ただ抱きつかれながら、ひたすらに思いを巡らせた。
あくまでも、レンは星空に興味があってここに来ただけである。宇宙に思いを馳せていたのは、運命の相手のためではなく、自分が本を読んでいて好きだと思っただけである。
……でも、どうして好きなんだろうか? 理由があっただろうか。ただ、物語より宇宙に興味が湧いただけで、それは確か、図書室での偶然の出会いだ。誰かに勧められた記憶もないし、今ここに一人でいるように、宇宙好きの仲間がいるわけでもない。そうなれば、レンが宇宙の本に興味を持ったのは、運命の導きであると言えるのだろうか。もしそうなら、リンが言う運命と、変わらないことになってしまう。
……仮に、本当に運命の相手だとして、それならどうするつもりなのだろう。このままでは家にすら帰れない。それに、明日からの生活はどうなるのか。今までと変わらない生活でいいのに。
「おい……いい加減にしろよ」
レンはリンの腕の中で、唸るように言った。
「何?」
「何、じゃない。俺の迷惑も考えてくれよ。そっちは運命の相手だかに会えて嬉しいか知らないけど、俺からしたら、急に宇宙人が現れて騒ぎ立ててるだけなんだぞ」
「だって運命なんだよ?」
悲しそうな声でリンは言うが、レンは構わず続ける。
「運命だとしても、俺はそっちを好きになる気持ちが生まれてない」
「……」
リンは何も言葉を返せなかった。
「運命の相手に会うことはできたんだろ、なら、もう自分の星に帰ったらどうだ?」
「……ひどいよ」
リンは、抱きしめる腕の力を強めた。
「私だって、それなりに苦労してここまで来たんだもん……そう簡単に帰りたくないよ」
「そんなこと言われても困るんだよ」
レンも、リンの努力をばかにしたいわけではなかったが、それでも困るものは困るのである。今だって、抱きしめられたまま動けないのである。
「時間かかったんだもん……」
「どれぐらいだよ」
「……もし、私が星に帰ったとして、その頃には、この星が消えてるかもしれないぐらいの時間が経つかもしれない……」
「……?」
かすれた声でリンの言った内容が、レンにはよく分からなかったが、少し考え直す。
遠くの星の光が届くまでの時間を「光年」という単位で表す。光の速さをもってしても、すぐにはたどり着けない星が、星空で輝いている。今見えている星も、本当は今、この瞬間には、爆発してなくなっているかもしれないというのだ。
リンのいた星の場所を知らない。光より速いものがあるかも分からない。時間の定義も、同じとは限らない。それなのに今、リンはここで運命の相手を抱きしめている。そんなリンに、レンは抱きしめられている。
「でも、帰って欲しいなら帰るよ、運命の相手が言うことだもん……もう会えないかもしれないけど……」
リンは腕を緩めて、そっとレンから離れた。目が潤んでいるのを見て、レンは思わず、離れたリンに手を伸ばしかけた。
「――だとしたらどうする?」
その瞬間、リンが笑った。
「えっ……」
レンは伸ばしかけた手を引っ込めた。……騙されそうになっていた? いや、分からないけど……。
「そうだとして、そんなことで諦める私じゃないの! 今回はこの辺で帰るね!」
「え、え?」
「それじゃあね!」
リンは満面の笑みを浮かべて、それから、レンに背を向けて、離れていった。
もう一度、レンの方へ振り返って、リンは手を振る。その全身が眩しい光に包まれ、光は空に向かって一直線に飛んでいった。リンの姿はそこから消えていた。
星空を背景に、飛んでいくリンの光を、レンはぼうっと眺めていた。「今回はこの辺で」、が本当なのか、あの抱きしめられていた時間が運命なのか、それは全く分からない。ただ確かに、レンの頭の中には、リンの存在が深く刻まれることになった。