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注文された花 - 1/2

 切花を入れた容器を、木箱の荷台に並べる。荷台の横にあるレバーを動かすと、木箱を載せたトロッコが動き出し、線路の上を走っていく。
 今日の花の出荷は、これで終わりだ。リンは、身に着けているエプロンの紐を解き、店の中へ戻った。
 たくさんの注文票を画鋲で留めた壁を見渡し、そこから明日の出荷分を選び取る。それを別の枠へ留め直して、それから、必要な花を別の紙に列挙する。明日、庭から必要な花を切って、また今日のように出荷する。
 送り出したトロッコは、時間が経てば、花の代金や食料、新しい注文票を載せて戻ってくる。リンはそれまでの間、花の水やりをすることにした。広い庭園で育てているすべての花の水やりが終わる頃には、トロッコも戻ってくるはずだ。
 水やりといえば、……いつもの植物にも、水をあげることになる。リンは、注文票の中の一枚を見つめた。
 その注文票は、長い年月が経ったせいで、紙の色が変わってしまっている。書かれた注文主の名前も、色褪せてほとんど読めない。リンがこの花屋を継ぐより前からずっと、この注文票は壁に留められている。
 リンは、花屋に初めて来たときのことを、思い返した。……「来た」というより、「気がつくとここにいた」というのが、正しいのだけれど。

「おはよう。……大丈夫?」
 リンが目覚めたとき、そこは真っ白なベッドの上だった。ふわふわとした掛け布団が、体の上に乗っていて、女の人が自分の顔を覗き込んでいた。
「わ、わたし……」
「お腹空いてない?」
「えっ、と……」
 そのとき、リンには、自分のお腹が空いているかどうかが、全く分からなかった。
「ずっと眠ってたから、きっとお腹空いてるよ。私もこれからご飯だから、色々お話しよっか」
 その女の人に、リンは別の部屋に連れて行かれた。部屋中に、植木鉢や花瓶が置いてあり、それぞれに違う花が咲いている。リンがそれをきょろきょろと見回していると、女の人はそれに気づいた。
「ここはね、お花屋さんなんだ」
「花……」
「私一人でやってるんだけどね」
 花に溢れた場所を進むと、テーブルの置かれた場所に出た。壁際には、流し台や冷蔵庫が置かれている。
 女の人は冷蔵庫からパンと飲み物を取り出し、パンはお皿に置き、飲み物はカップに注いだ。テーブルにそれを並べると、女の人はリンに、どうぞ、と椅子をすすめた。
 向かい合って座り、女の人の動きを真似ながら、リンはパンを食べた。
「ねえ、あなたのお名前はなんていうの?」
 聞かれたが、リンは答えられなかった。
「……わからない……」
「そ、それじゃあ、お父さんとか、お母さんとか……は?」
 わからない。リンはうつむいた。女の人は困った顔をしながらも、優しく話を続けた。
「この花屋の周りはね、庭園になってるの。全部、花を育てるためにあるの。あなたは……この庭園の入り口のところで、倒れていたんだけど……この花屋に、おつかいを頼まれたとかじゃ、ないよね」
「……わからない……、ご、ごめんなさい……」
「いいよ。大丈夫。今一番困っているのはあなただよね。それに……多分、この花屋におつかいに来るなんて子、いないと思うから……ここ、普通は人が来ないんだよ」
「……え?」
 同時に、パンを食べ終わり、リンは女の人に見つめられた。
「あなたは……ここに来る前のことも、自分のことも……何も、覚えてないのかな」
「……た、ぶん」
「それなら、名前が分からなくても、仕方ないよね」
 少し考えたあと、女の人は言った。
「……あなたのこと、リンって呼ぶね。名前がある方が、呼びやすいから」
「り、ん……」
「ね、リン。何も覚えてないなら、ここで私と一緒に暮らそうよ」
 リンは、すぐにはうなずけなかったが、断る理由も、なかった。記憶が全くなくて、それに従う他、なかった。
「あ、……あなた、は?」
 リンがおそるおそる聞くと、女の人は苦笑いしてみせた。
「私、ここでずっと一人だし、全然名前なんて呼ばれることないの。そうだなあ……店長って呼んで!」
「……店長」
「うん! よろしくね、リン!」
 これが、リンと先代の店長との、出会いだった。

 それから、花屋での暮らしを、リンは先代の店長から教えてもらった。広い庭園を回りながら、花の種類をいくつも紹介してもらって、そして、花の水やり、苗の植え替え、種まきも一通り教えてもらった。
 私にはこれぐらいしか教えられないけど、と、店長は申し訳なさそうに言っていた。でも、リンにとっては、十分すぎるほどだった。他のことなんて教わらなくても、覚えることはたくさんあった。
 たくさんの花の世話を教えてもらう中で一つ、特別な植物の世話があった。といっても、世話の仕方は、他の花と違うというわけではなく、ただ、毎日水をあげればいい、と教えられた。
 それは、注文されている花ではあるのだけれど、注文票には、花を届ける期限は書かれていない。
「これは特別な花でね。お世話をお願いされてるの。花が咲いたら、知らせてくれって言われてるんだ」
 茎は白くて、たくさんついている葉も白い。茎の分かれ目や葉の付け根には、ほんのりと緑色がついている。よく見ると、その色は一色ではなく、様々な色がある。
 リンは当時、それも数ある花の一つだと思っていた。しかし、その花が咲く時期は、店長も分からないと言っていた。たまにしか花を咲かせない植物は他にもあるし、気長に育てるものだということにして、毎日それに水をあげ続けた。

 リンは、店長は決して健康体ではないということが、分かっていなかった。毎日咳き込んでいたし、少し作業をすると、すぐに休んでいた。リンにとっては、それが店長の普通だった。
 ある日の夜、例の特別な花に水をあげたあと、店長はいつものように、近くに置いてある椅子に座った。リンも、いつものように、その近くの椅子に座った。庭園のあらゆるところには椅子や石が置いてある。いつ辛くなっても、すぐ座れるようにしてあるということを、リンは知らない。
 その日の店長は、いつにも増して、大きく息を繰り返していた。けれど、表情はいつもの通りに、優しかった。
「リンが来てくれてから、お花のお世話、いっぱい任せられるようになっちゃった」
「……うん」
「ね、お花の世話、楽しい?」
「うん」
「よかった。楽しいよね」
 店長が笑ってくれるのが、リンは嬉しかった。だから、花の世話も、楽しかった。もちろん、世話をした花が咲くのも楽しみだけれど、店長が喜んでくれるから、楽しいと思えていた。
「……咲かないな」
 店長は、さっき水をあげた植物を見ながら、そう言った。月明かりで、白い葉が照らされている。
「……本当に、花、咲くのかな」
 リンがつぶやくと、店長は笑った。
「咲くよ、絶対」
 リンが初めて見たときに比べれば、葉も増えている。葉の付け根についた色は、さらに種類を増やして、緑以外にも、青や黄色に近い色が現れるようになった。夜には白い葉が映えて、色づいた部分は、心なしか光っているようにも見える。
「不思議な植物だけどね。……花、見てみたかった……」
「え?」
 店長の言葉が、リンはよく聞き取れなかった。聞き返したが、咳に掻き消される。
「……リン……今日もいっぱい、お世話したから。疲れたね。今夜はもう、寝よっか」
「……うん」
 店長に言われて、リンは立ち上がった。しかし、店長はすぐには立ち上がらなかった。リンが首を傾げると、店長は大きく息を吐きながら、また微笑んだ。
「先に、部屋に戻っていいよ。私は、少しここを回ってから、戻るから」
 店長の言葉を素直に聞いて、リンは部屋に戻った。そして、布団の中へ入った。

 次の日の朝、リンが目を覚ますと、枕元には封筒が置かれていた。『リンへ 起きたら読んでね 店長より』という、メモも一緒に置かれていた。
 明らかに、自分宛ての封筒だ。リンは、メモに書かれている通り、封筒を開け、中の手紙を読んだ。

***

突然に思えるかもしれないけど、お別れの挨拶をしなければいけなくなりました。
私は、空の上に行ってきます。そして、もう、この花屋には戻れません。だから、今日からリンには、この花屋の店長を継いでほしいと思います。
昨日までの間に、リンにはこの花屋の仕事を、全部教えました。リンはもう、私がいなくても、全部できるはずです。だから、お願いします。

初めてリンがこの花屋に来た日、私はあなたをリンと呼ぶことにしました。あの日、私は名前を言わなかったけど、実は、私の名前も、リンなんです。
あの、特別な注文の花が咲くまで、私はここにいられないと、ずっと思っていました。そんなとき、あなたがこの花屋に来てくれました。だから、あなたが私になってくれたらと思って、私の名前で呼ぶことにしました。
あの特別な花は、本当に大事な注文です。だから、リンには、私の代わりにあの花を咲かせてほしいです。

私は最後まで、好きな花屋を続けられて、本当に幸せでした。リンもきっと、私と同じで、花を育てるのが好きだと信じています。これからも、花をたくさん育ててください。

***

 リンは、その手紙の内容が、すぐには理解できなかった。確実に分かるのは、店長からは花屋を任されたこと、そして、自分が花を育てることが好きだということだけだった。
 店長のお願いであれば、聞く以外は考えられなかった。今日の注文分の花もある。最近は、実際の作業はすべてリンに任されていて、店長の言う通り、リンは店長がいなくても、すべての作業ができる状態になっていた。
 花屋の仕事をすれば、店長は喜んでくれる。店長のお願いを聞けば、喜んでくれる。この花屋に、店長がいなくても。リンは何を不思議に思うこともなく、花屋の仕事を続けた。そしてもちろん、大事な注文だと言われている、特別な花の世話も。

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