#藍鉄さん視点
うーん、何となく記憶は曖昧だけど、
僕は確かに、アペンドさんに三重人格だと打ち明けられて、
それで、明日もよろしくって言われて……。
僕は安心していいんだよね。
僕も狐の僕のことを分かってもらえたわけだし。
その日、僕はすぐに眠りについた。
そのあと何日間か、僕とアペンドさんの共演の仕事が続いた。
「仕事の合間は、「冷たい」人格でいさせてもらう。
……俺の本意じゃ、ないけど」
アペンドさんはそう言ってきた。
「……は、はい」
「だから、あまり喋らなくても、……気にしないで」
表情は本当に読み取れない感じだけれど、
僕には、アペンドさんがすごく必死で話そうとしているのが分かった。
「……分かってます。僕も、そんなに喋れないかも、しれないですから」
「それなら、いいか」
「っていうか、前より随分喋ってますよ」
「……そう、かな」
アペンドさんはちょっとだけ、ちょっとだけだけど、困った表情になった気がした。
多分、僕に人格の話を打ち明けた分、喋れるようになったんじゃないかな、と、僕は思ったんだけど。
そんな会話をしたのもあって、僕たちは休憩中にたくさん話すということはしなかったけど、
何となく一緒に座って水を飲んでみたりとか、合間に目を閉じて休んでみたりとか、
別にそれは全くよそよそしい雰囲気ではなかった。
多分似た者同士が、自然と息が合っているような、そういう状態だったんだと思う。
そして無事すべての仕事を終えた。
「お疲れ様」
「はい、お疲れ様でした」
「……今まで、ありがとう」
「はい、こちらこそ」
僕が少し笑ってみると、
アペンドさんの表情も、何となく柔らかい笑顔になったように、見えた。
本人は「冷たい」人格、だなんて言ってたけど、多分冷たいっていうのとは、ちょっと違うんだと思う。
明るく積極的ではないけど、落ち着いているっていうだけだと思う。
「……あー。あー。
もう、いいよね。もう」
僕がそう思っていたら、アペンドさんが突然下を向いて言った。
声の調子が急に変わって、僕は少しびっくりした。
「もう我慢の限界だよ! ああ、いいよねもう! 藍鉄くん!」
アペンドさんが顔を上げて、僕に言った。
「あっ、アペンドさん、何の話ですか、急に!」
「決まってるでしょ、人格もう変えていいよね! 冷たいの嫌い!」
「……は、はあ」
いわゆる「明るい」人格が、突然出てきたみたいだ。
「一応言ったけど、本意じゃないんだよ。
この人格でいる方がほんと楽。喋りたいことがろくに喋れないんだもん、あれじゃあ」
「そ、そうですか、あれでも十分喋ってたと、僕は……」
「まあ確かに、藍鉄くんは言葉数多い方じゃないからそう思うかもしれないね?
俺がこの人格で話すと若干迷惑かもしれないけどさ、ね、許して」
アペンドさんがそう言って、いきなり僕の両手をつかんできた。
「い、い、痛いです!」
「あ、ごめん……つい」
アペンドさん、妙に握力強いんだよなぁ。
何とか耐えたけど、下手したら骨折れちゃうかもしれない……。
「もう一回言うね。ありがとう。
俺はあいつ以外で人格の話ができたのは、藍鉄くんだけだから。
藍鉄くんも似たようなことで悩んでるって知ることもできたし、
おかげで、俺も心が開きやすかった」
僕で、よかったのかな、いや、よかったんだ……と、ちょっと不思議な気分になった。
「あ、あの、あいつ……?」
そこだけちょっとひっかかったんだけど。
「ああ、あいつはオリジナルのことね。まあオリジナルだから知ってて当然みたいな」
そっか、言われてみれば、オリジナルさんが知らない訳はないか……。
「――それとね」
少し声のトーンを落として、アペンドさんが言った。
「俺とあいつ、しばらくしたら、ここを離れる」
「……え?」
いなく、なる……? ってこと?
僕がアペンドさんの目を見ると、アペンドさんは困ったような笑顔になった。
「……さようなら、って、ことだね」
「え、あの、意味が、分からないんですけど」
「それが、俺にもよく分からないんだけど、
……多分、会えなくなるんだよ」
しばらく、僕とアペンドさんは、何も声を出さなかった。
「……寂しい」
アペンドさんが静かに言った。
「せっかく、話せるようになったのに、こんな短い間だけって、ひどい話」
僕はまだ意味が分からなくて、何も言えなかった。
「くどいけど、繰り返すね。話せるようになったのは、
藍鉄くんのおかげだから、ありがとう」
「そんな、何度も、言わなくていいですよ……」
「うん、ごめん。いずれあいつから、また改めて聞かされるとは思うけど」
やっぱり僕には意味が分からなかった。
「――それでも、すぐの話じゃないよ。まだ当分いるから」
アペンドさんの声のトーンが戻った。
「へ?」
「それより仕事の打ち上げだよねー。
バナナパフェでも食べる? 食べよ!」
「え? え? ちょっと待ってくださいよ……!」
「ほらほら、いくよ!」
「えー!!!!」
アペンドさんのテンションの上がり下がりにはついていけない……!
そう思いながら、僕はアペンドさんに引きずられていった。