会話#111「人称」

#オリジネイターさん視点

「こうして、『僕』は飛び立ちました。」

……って、撮影でアペンドが独白をしていた。

今回の撮影は訳あって、僕も手伝いに来ることになってしまったんだ。本当はアペンド一人だけ行くはずだったのにさ。
「あー、何でお前なんかと」
撮影現場に向かう途中で、アペンドは僕を見ないように真横を向きながら、吐き捨てるみたいに言った。
「じゃあ一人で行けば。僕だって君と一緒なんて嫌だよ」
「……そ、れは」
「わかってるよねえ? 全部君の力不足だからねえ?」
「ああもう、うるせえんだよ!」
「そっちが言い出したくせに。自業自得じゃないの」
「……」
アペンドは黙った。そうなんだよ、こいつ、今回については絶対僕に頭なんて上がらないはずなんだから。
「……大体……」
ほぼ声にもならない声で、まだぶつぶつ言っている。そして、まっすぐ前を見て歩こうとしない。
「そんな横向いて歩かない方がいいんじゃないの、危なっかしい」
「黙れ。お前を視界に入れたくない」
そして、歩く速度をはやめる。
「自分の姿なのにそういうこと言う?」
「気持ち悪い」
アペンドの後ろ姿が、どんどん僕の前に距離を作っていく。垂れ下がった黄色い帯が、いつにない速さで跳ねている。
僕は作られた距離をこれ以上長くしないように、足を必死で動かした。

いつもと、違う感覚だ。
首元を軽く締め付ける物の感触とか、お腹に直接当たる空気とか、異常に肌に密着する上半身の服とか、やけに解放的すぎる露出した肩とか、そして、前を歩くそいつと同じように跳ねる前後の黄色い帯……。
それを、僕が、感じている。

僕たちは目的地についた。
「いいか、オリジナルは最小限出てこればいいからな。できる最大限、俺だけでやるから、絶対に」
諦めたのか、アペンドは僕を視界に入れた。
「……この格好でそう呼ばれてもなあ」
僕は自分の手や腕を改めて見た。
「……『お前』は必要なとき以外来んなってことだ! ああ、もう、気味悪い、同じ格好なんて……」
アペンドのやつ、過剰反応な気がするけど。そんなに自分と全く同じ姿が受け付けないのかな。そんなの、僕が『オリジナル』の服であろうと、顔は同じなんだし、それも同じようなものじゃないか。
……でも、やっぱり本能的に、「自分でない自分が目の前にいる」のは、嫌なものなのかもしれない。僕はそれが平気だけれど、もう一人の僕がそれを拒んだように。

そう、いま僕は、『アペンド』の格好をしている。アペンドが分身しているふりをして、本当のアペンドと、姿を変えている僕の二人で、撮影の仕事をすることにしたんだ。
そもそも僕達は皆僕の分身なんだから、僕が誰かの格好になることぐらい当たり前のことかもしれない。けど、分身した僕達はそれぞれに自我をもって、もうそれは僕ではない僕なんだ。だから、例えば、僕は絶対に目の前にいるアペンドと同値にはなれなくて、僕はいくら姿を変えても本質は『オリジナル』のまま、というわけだ。
それと、本当はアペンドは自分一人で分身する予定だったんだけれど、それができなかったから、こうして僕が分身のふりをしている。できなかった理由は、アペンドの力不足、ただそれだけだ。

この撮影が決まったときに、アペンドが分身するよう指示があった。なかなかそんな指示はあるものではなくて、でも、できないってことはないだろうし、とりあえず撮影前に確認することにした。
アペンドは一点をじっと見つめるように集中力を研ぎ澄ませた。そして、自分の横に分身を出現させた。……そこまでは余裕だった。
でも、そのすぐあと、念じていた本体の方がふらついた。そして、分身の方は微動だにせず表情を失っていた。
何とか本体の方が気を保って立つと、今度は分身が目を閉じて、寝息を立て始めた。
「……、は、はぁ」
本体は険しい顔で分身の方へ振り返ったけど、分身は立ったままで完全に寝ている。少し気持ち良さそうなぐらいだ。
「お、おい」
本体が分身の肩を掴む。でも全く起きる気配がない。
「俺起きて!? ねえ!」
本体が必死で揺さぶっても、状況は変わらずだ。そしてまた、本体の体はぐらついた。
肩を掴まれたままの分身もそれにならう。そして、共倒れ……アペンド二人が床に倒れているのを、僕はぽつんと見下ろしていた。
多分、自分の意識をどこに持つべきかっていうのが、分身するときに難しいところで、普通に過ごしててそんな感覚を養えるわけもないし、こうなるのが普通かもしれない。
僕は仕方なく手を貸して、アペンドの分身を解いてあげて、意識を元に戻してあげた。起きたアペンドは、地面を見つめて険しい顔をしていた。
「分身もできないとかだっさ」
僕は言ってやった。アペンドはすぐに僕を睨んだ。
「おっ、お前はできるのかよ!」
「僕が分身した結果が皆だよ?」
「……意味わかんねえ」
分身した後の意識の持ち方の答えは、「自分の意識はしっかりと分けて、分けた自分を自分と思わずに委ねてしまう」だけど、そう簡単には教えてやりたくもないし、言ったところで簡単にできるはずないし、何も言わないことにした。
「この分じゃ分身して行くのは無理だねえ。そんなことできません、って言うしかないか」
「……何とかできないのか……」
アペンドはしばらく本当に真剣に考えていた。……アペンドに来た仕事とはいえ、同じ僕として無責任な態度を続けるわけにもいかない。
本当に本当に面倒だとは思ったけど、僕はひとつの案をアペンドに持ちかけることにした。
「僕が何とかしよっか」
「……え」
アペンドは小さい声を漏らした。僕は構わず、そっと目を閉じてから想像した。今目の前にいる姿を、自分へ写す。自分を構成する要素を置き換えていく。
そして、開く目の中も、色を真似る。
「うまくいったかな」
アペンドは僕を見て体を震わせていた。
「分身は僕がやる、それでどう?」
「……」
「あ、君を真似るなら、『俺がやるけど、それでいいか?』みたいに言った方がよかったかな」
「……!」
信じられないのか、怒りなのか、そこまでは分からないけど、きっと自分と同じ姿になった僕を見て、唖然として、なにも言えないんだろう。
「文句ないね? どうせ分身できないならこうした方が楽でしょ。感謝してよね」
「……」
他にいい方法も思い付かないだろうし、アペンドは僕がアペンドの分身のふりをするのを受け入れるしかなくなったんだ。

僕はおとなしく、撮影場所から外れた場所の椅子に座っていた。そこで、アペンドの様子を眺めていた。
はじめは演奏しながら歌うシーンの撮影で、そこは明らかに一人で十分だった。
渡されたギターを構える姿は一人前だ。
……当然だよ、僕の分身がそんなこともできなかったら、「君は僕じゃないの」って軽蔑してやる。
そして、実際に歌いながらの撮影が始まった。
曲に合わせて声を張るのを聞いていると、今度はちょっと劣等感が襲ってきた。あんなに強い眼差しで、力強く……僕には、出せない声だ。
ああ、こんなのずっと見てたら、もどかしくなる。僕にだって、あいつにはない何かがあるはずなんだ。僕は僕ができることをする。今日ここにいる理由を考える。僕は自分の出番を確認するために資料を見ることにした。

「僕」は、「体」と「意識」に分離する。意識は羽をもって飛び立ち、体は捨てられる。
意識のなくなった体は感情を失ったものになる定めなのに、意識は体へ振り返ってしまい、体は半端に意識を取り戻してしまう。そんな二人が、しばらく体の捨てられる街をさまよう。

大まかな設定が、それらしい。それを示すためのシーンを演じることになるけれど、色々とその二人のやり取りとなる台詞も書かれていた。
それを読んで、「僕」なんだな、と、僕は思った。
僕が気にしたのは、その一人称だった。
アペンドは普段、必ず「俺」と言うんだけれど、この指示に従うと、きっと「僕」って言うことになるはずだ。僕は普段から「僕」としか言わないけれど、アペンドが言うのを想像すると、ちょっと変な気分になる。演じるんだから、気にすることじゃないけど。

「終わった」
資料を読みふけっている僕の頭の上から、声が降ってきた。見上げて目に入ってきた表情は、明らかに不機嫌そうだった。
「お疲れ様」
僕が言っても、その顔は変わらなかった。仮にも労ってやってるんだから、もうちょっと、ありがとうとか、そういうのはないのかって思う。……こいつにそんなの期待するだけ無駄か。
「次、俺が羽の方やる、分かったか」
僕の持っている資料の文字を指差して、アペンドは言った。どっちがどっちをやるかって、そういえば話してなかったな。多分、話し合うのも嫌だったから、自分で勝手に決めたんだろうな。
「じゃあ僕は体の役か」
「ああ」
極力言葉数を少なくしようとしてきているのが、ひしひしと伝わってくる。不愉快だから、そうすんなりと会話を終わらせたくはないと思ってしまう。
「……お願いしますも言えないんだ」
絶対に、怒る。分かってて言ってる。
「……」
アペンドの表情は既にもう不機嫌で、それ以上変わることはなく、僕に背を向けた。
「うるせえんだよ、さっさと準備しやがれ」
囁くほどの声でアペンドは吐き捨てた。僕は仕方なく立ち上がると、アペンドの後ろへついて撮影場所へ向かうことにした。
そうだよ、わざわざこいつと無駄な言葉を交わそうとする方がどうかしてた。

……そんな僕たちのやり取りとは裏腹に、「意識」と「体」は互いを思い合う。
『これで、“僕”は終わりなんだ』
アペンドは羽をつけた背中を僕の方へ向けて言う。僕はそれになにも反応せず、立っているだけだ。本当なら「体」である僕は意識ではないから、ただそこにあるだけのはずなんだけれど。
『……本当にこれで……?』
「意識」は禁忌を破って、体だけになった自分を見てしまう。アペンドが僕の方へゆっくりと振り返る。その表情は何かに怯えるようで、でも何か疑っているようでもある。
僕はまだ全く動かない。だって本来なら、捨てられるものだから。
振り返ったアペンドがこっちへ少しずつ近づいてくる。僕の顔を凝視して。まだ僕は動かない。
『これが、僕?』
アペンドはそう言って少し、悔しそうな顔をする。
『……止まるな、動いて』
体だけの自分を見ることが禁忌なのは、必ず、そう思ってしまうからだ。そして、一度離れたとはいえ、そう言われた体は意識を取り戻してしまう。だから僕は、動く。
『……』
言葉はまだ、出せないけど。
そして今度、意識を取り戻した僕を見ると、アペンドは我に返って禁忌を思い出す。
慌てて、僕に背を向けるけれど、もう手遅れなんだ。僕は背を向けたアペンドの手に自分の手を伸ばす。そして僕は初めての台詞を言う。
『どこに行くの?』
手を掴む。振り返らないように必死で強ばるのが伝わるけど、僕はそもそも、捨てられるなんて知らなくて、ただ目の前にいる自分と同じ姿にすがるしかなくなっているんだ。
『ねえ、ここはどこなの?』
『……ここは』
お前を捨てる場所なのだとは言えないから、アペンドは僕に振り返った。
『新しく、君が住む街だよ』
『……ここが? 暗いし、誰もいなさそうなのに?』
何とかして体をここに置いていかなければいけない意識は、体を騙すしかない。アペンドは作り笑いを浮かべた。
『そう見える? 静かでいい街だよ。あそこなんて綺麗だし』
そう言って指差した方には淡い電飾が見える。それも本当は、意味もなく光るだけの物で、捨てられる体と同じ物の行く末だけれど。
『そうだ、少しこの辺を一緒に見て回ろうよ。そうしたら君はここのことが好きになるかもしれない』
今まで僕の握っていた手を、アペンドが握り返す。そして、僕を引っ張る。
『うん、行く』
僕は騙されて、心が踊り始める。
こうして僕達は、ほんの少しの間だけ、仲良くこの街を回ることになる。

……仲良く、なのは、芝居の上だけなんだけどね。一旦撮影が中断されれば、僕達はまた仲の悪い関係に戻るだけだ。
一言だって話してやるか。僕達はお互いに相手の姿を目にいれなかった。端から見てそれはおかしな光景ではないはずだ。自分が分身してるなら、次のシーンの打ち合わせだって自分の心の中で完結するはずだからね。

意識は臆病な体を大切に見守り、街を好きになってもらえるように手を尽くした。体は意識の思惑通り、街に慣らされていく。
もうそろそろ、大丈夫だろうと判断した意識は、体が街の景色に目を奪われている隙に、そこから逃げ出した。
意識が傍からいなくなったことに気付いた体は、自分の本能を頼りに意識を追った。本当は同じ自分がこうして離れるのはおかしなことで、本能として自分達は重なろうとする。距離は完全なゼロにならなければいけない。……でも、もう意識と体は分離した後だ。もう意識は飛び立つことを決めた後だから、二度と戻れない。離れた時間は一定の間隔で止まることなく増えていく。
体は自覚していく。同じだった意識と自分が、確実に差を生んでいる。意識は遠退いて、自分はこの街に徐々に囚われて、動けなくなる。「捨てられる」という言葉では理解していなくても、自分はここにとどまらなくてはいけなくて、相手はここから消えなければいけないということは理解してきている。それを認めるか認めないかの感情は、差によって意味のないものに変質している。
答えは一択で、……でも最後にわがままをいうならば、消えるその意識の顔を、もう一度見たい。この短い間に仲良くしてくれた友達を、見送りたい。

『雨が降れば、傘を差せばいいんだね』
『一人で、差せるよね』
『もう、大丈夫だよ』

そして意識は僕の前から飛び立ち、はじめの台詞を言う。
「こうして、『僕』は飛び立ちました。」

すべてのシーンの撮影が終わった。
お別れをした「意識」と「体」であるアペンドと僕は、何事もなく合流して、撮影現場をあとにした。
感動的……だったかはわからないけど、それなりに別れを惜しんだ演技のあとに、こんなすぐそばで一緒に歩いていると、変な気分だ。ちらっと横顔を見てみたら、やっぱり僕の方を見たくない様子なのがありありと分かった。
僕も大して話がしたいわけではないけど、……最後の台詞を思い出すと、どうにも気持ちが悪かった。
普段「俺」と言ってるアペンドが「僕」と言っていたのは、演技上の話なのは分かっていても、……やっぱり、なんかこう、……。
でも、考えてみたら、アペンドだって僕なのに、なんでアペンドはわざわざ「俺」なんて言っているんだろう。気がついたときにはそう言っていて、何の違和感も持っていなかったけど。僕より、優れていて、成長していて、それでかっこつけて……そんな、適当な理由なんだろうか。
まだ撮影後に一言もアペンドが話すのを見ていない。このなんとも言えない気持ち悪さを晴らすには、アペンドに普段通り「俺」と言わせるしかない。
「ねえ」
僕は声を出した。でもアペンドは不機嫌そうな顔で全く答えない。
「聞こえてんの?」
聞こえてない、とでもいうような無視のされ方をする。
「ちょっと聞いてんの!?」
「ああっもううるせーな! 何だよ!」
「声かけただけでそっちこそ何なの!」
「うるさいんだよ、俺はお前と喋りたくな……」
言った。
僕はアペンドの手を握って立ち止まらせた。
「今「俺」って」
「……は?」
「俺って言ったよね。気になってたんだけどさ」
「……何が」
「何で君は僕なのに俺って言うの?」
「……何を急に……」
アペンドからしたら突拍子もない質問だったのかもしれない。確かにそうだろうけど、どういうつもりか、僕が聞きたい。
「……その、「君は僕なのに」って言い方、お前よくするよな」
アペンドは質問に答えずに僕の言葉に突っ込んできた。
「ちょっと、答えになってないんだけど」
「……」
僕が言うと、アペンドは目元を歪めて僕を睨む。
「お前は俺が僕って言わないことが気に食わないんだな? 俺もそれなら言わせてもらうけど、お前のその、俺も自分みたいな言い方が気に食わない」
「ち、違う。気に食わないんじゃない!」
「じゃあ何だよ」
同じ自分の癖に何でこんなに噛み合わないんだよ。
「今の質問は単に気になって聞いたの。そうやってすぐ喧嘩売るような方に持っていってさ、ばかじゃないの」
「お前人のこと言えるのか? 喧嘩売ってきたのはそっちだろ。しかも一言多い、ばかじゃないのか」
お互いに言って、それから僕たちは黙った。……何をそんなに言い争いたいんだろう。今はお互いに全く同じ姿になっているのに、こんなに行き違っている。
「……俺が話を変えたことに違いはないな、……何で「俺」かって話に答えればいいんだろ、わかったよ」
アペンドが、折れてくれた。話を変えたのは全くその通りだと、悪態をつきたい気持ちは抑えて、僕はアペンドの言葉を待った。
「およそさっき言ったのと同じだけどな。お前と一緒なのが嫌なんだよ。俺がお前だってのが本当に気に食わない」
僕は表情を変えずに聞いた。その表情はさっきの続きだから、不機嫌で気に食わない。鏡に写せば、今答えたアペンドと全く同じ顔をしているに違いない。
「……答えたぞ。気は済んだか」
「済んだ。あっそう」
「別に僕なんて言わなくていいだろ」
「変えろとは言ってないから」
今度はお互いに、ある程度穏やかに言葉をぶつけた。
せっかく同じ姿になったのに、こいつも僕なはずなのに、こうして位置がずれて存在していて、僕たちには差が常にある。
僕たちは同値には二度と戻れないんだ。そうやって僕の知らない僕が、また変わっていく。