会話#115「事件」

#殺人事件の話です。苦手だなと思ったら、今のうちに引き返してください。

「……っ!」
 共有スペースに足を踏み入れたシエルとホワイトエッジは、硬直した。
 床に、オリジナルが、倒れている。
 うつ伏せで倒れているオリジナルのお腹のあたりから、赤い液体が広がっている。
「こ、こ、これって……!」
 本で読んだことあるやつ、と、ホワイトエッジは思った。
「な、なに?」
「さ、殺人事件だよ! 誰かに刺されて死んでるってやつ!」
 よく分からないまま、シエルは慌てふためくホワイトエッジと、倒れているオリジナルを見比べた。
「し、死んでるって……え、オリジナルさんが?」
「わ、分かんないけど! ま、まだ死んでるってわかったわけじゃ……」
 ホワイトエッジはオリジナルの近くにしゃがみ込み、手を触った。ひんやりとした感覚がする。
「つ、冷たい……え、ほんとに……!?」
「……こんなに声出して喋ってるのに起きないし……」
 二人はしばらく立ち尽くした。どうすればいいか、分からない。
「何? さっき大声したけど……」
 立っている二人の後ろから声がした。振り返ると、生徒会執行部が来ていた。どうも、すぐ近くの調理室にいたらしい。いつもそこでお菓子を作っているから、シエルとホワイトエッジの声に気づいたのだろう。
「執行部さん! 大変なんです!」
「何が……、……!」
 執行部は倒れているオリジナルを見て、状況を察した。
「ど、どうしましょう……」
「ど、どうって……」
 困惑しながらも、執行部は考えた。
「そもそも、これが何かの事故なのか、事件なのか分からないし。だから、あまり動かしたりとかはしない方がいいと思うけど……今日、他にこの部屋に来た人とか、オリジナルさんに会った人とかに、話を聞くとかした方がいいんじゃないかな」
 確かに、とホワイトエッジはうなずいた。
「……う」
 しばらくオリジナルを見ていたシエルは、口に手を当てた。
「シエルくん? 大丈夫?」
「……ご、ごめん……なんか……気持ち悪くなってきて……」
 ショックを受けてしまったのだろうか。ホワイトエッジはシエルの背をさすった。青ざめている顔を心配そうに見て、執行部はそっと話しかける。
「自分の部屋に戻る? 休んだほうがいいかも」
「……そうします」
「じゃあ、僕が一緒に行くよ。……ホワイトエッジくんは、他の人に話聞いてみてくれる?」
「はい、ありがとうございます」
 シエルと執行部が一緒に歩いていくのを確認してから、ホワイトエッジは他の人の部屋を目指した。

 ホワイトエッジは、誰に話を聞くか、一旦考えた。共有スペースには誰でも来るだろうし、オリジナルと普段過ごしている人に伝えた方がいいだろうか、と思った。しかし、オリジナルといえば、普段はいる人全員にバナナを配っているような存在だし、誰とでも平等に接しているから、特定の誰かと一緒にいるような印象がない。強いて言えば、アペンドが一緒にいそうな気もする……。
 とりあえず、アペンドのいる部屋を目指してみることにした。すると、その手前でドアが開いた。
「あっ、こんにちは」
「こんにちはー」
 出てきたのはスターマインだった。とりあえず、ホワイトエッジは話を聞いてみることにした。
「先輩、今朝オリジナルさんと会ったりしました?」
「え? 今日は会ってないかな」
「あの、……なんて言えば、いいかわからないんですけど……共有スペースで、オリジナルさんが……死んでて」
「!?」
 スターマインはびっくりして、声を出せなかった。どういうこと、と、目で訴えてくる。
「何でそうなってるか、分からなくて、どうしていいか分からなくて。それで、オリジナルさんと今日会った人とかいないかなって思って、アペンドさんとかに聞けばいいかなって……」
「……その状況がよく分かんないけど、アペンドさんなら今日はいないよ。しばらく外に出かけるって聞いてるから……」
 二人はそれから、少し黙った。
「そんなことになってるなら、報告するとしたらほんとはアペンドさんだと思うけど、いないんじゃどうにもできないよね」
 考えたあと、スターマインは言った。ホワイトエッジはうなずく。
「……上の先輩に聞けば、どうすればいいかとか、いい方法聞けるかもしれないね」
「たしかに、そうですね。……聞きに行ってみます」
「僕も行くよ」
「いいんですか?」
「うん、だって一大事でしょそんなの……」
 二人はうなずき合い、先輩の部屋を訪ねてみることにした。

「オリジナルが、死んでる!?」
 話を聞いた途端、パンキッシュは大声を出した。声に気付いてか、近くの部屋のドアが開く。スクールジャージやブルームーン、藍鉄が顔を覗かせている。
「アペンドは?」
「今日出掛けてます」
「……まじかよ、こういう話はオリジナルかアペンドの管轄だろ……てかほんとに死んでんのか?」
 パンキッシュは頭に手を当てながら、表情を歪ませる。
「僕は見ました、手も冷たかったし、……」
「……共有スペースだっけ? 今誰もいないのか?」
「……はい」
「とりあえず行くぞ。様子見て、話はそれからだ」
 パンキッシュは自分の部屋のドアを閉め、歩き始める。そして、話を聞いていたスクールジャージたちに目線をやった。
「状況がわかんないけど、人集めて話し合った方がいいだろ。お前らもついてこい」

 パンキッシュを先頭に、共有スペースに戻る。状況はそのままで、オリジナルは倒れたままそこにいた。
「……ほんとに……死んでる、っていうやつか……」
 こんなこと、ここで起きるわけないと思ってたんだけど、とパンキッシュは付け加えつつ、部屋を見回した。
「こういうの、扱い分かるやついる?」
 赤い液体に濡れたところの近くにしゃがみ、パンキッシュは言う。その場の全員は首を横に振った。
「だよな……でも、せめてこれがなんかの事故なのか、殺人なのか……そこから考えないと……」
 パンキッシュはそっと、オリジナルの体を持ち上げて、お腹のあたりを確認した。
「……刺された、っぽいな」
 藍鉄が小さく悲鳴を上げた。そして、顔を背ける。ブルームーンはそっと藍鉄の背に手を当てた。
「……藍鉄、怖かったら席外してもいいぞ」
「……い、いえ、ここにはいます、話聞くだけになるかも、しれませんけど」
 声を震わせながら、藍鉄は答えた。
「まあ、仮に殺人だとして、犯人がいるとしたら、どこにいるかなんて分からないからな……」
「で、でもここでオリジナルさんが死んだんだよね、なら犯人がこの部屋のどこかに潜んでるかもしれないよね!?」
 スクールジャージはきょろきょろしながら言った。
「ぼ、僕はどうせ役に立たないから部屋に帰るよ!」
「おい、そういうのが一番危ないって……! ……聞いてない」
 パンキッシュが言ったのも聞かずに、スクールジャージは部屋を出ていってしまった。
「……まあ、ほっとくしかないな。とにかく、なんでオリジナルがこんな目にあったのか……」
 パンキッシュは腕を組んだ。周りは皆、パンキッシュの声に耳を傾ける。
「これは、俺の考えだけど、ここには、よほどのことがない限り、外から誰かが来るなんてことがない。だから、犯人がいるとすれば……この棟にいる、誰かなんじゃないかって」
「え……」
「しかも、刺されてるっぽいことを考えると、刃物を扱えるようなやつとか……」
 パンキッシュはそう言いながら、藍鉄の方を見る。その横のブルームーンが、血相を変える。
「な、お前藍鉄を疑ってんのか!? こんなことできるように見えるか!?」
「違う、早とちりすんな! お前はいつも!」
「ならなんなんだよ!」
 言い合いになっているブルームーンとパンキッシュを見て、藍鉄が怯えている。ホワイトエッジとスターマインは、何も言えない。
「調理室、よく行くだろ。調理室の包丁とかなくなってなかったか?」
 藍鉄は聞かれて、怯えながら首を横に振った。
「特に変わりなかった、です」
「そうか……」
 なら他の可能性を、とパンキッシュが考え始めたそのとき、部屋の外から誰かが走って来る足音がした。
「た、大変!」
 部屋に飛び込んできたのは、鶴だった。
「どうした?」
「……さっき、スクールジャージさんが倒れてて!」
「え、まさか刺されてた?」
「そ、そうです! そ、それもそうなんですけど、なんか黒い布被った誰かが、刃物持って走っていって、今それをアヤサキくんが追いかけてて、……」
 本当に刺されるなんて、と、パンキッシュは大きくため息をついた。
「え、っていうかオリジナルさんも倒れてるんですか!?」
「多分最初にやられたのがオリジナルだ」
 鶴はびっくりしながらも、アヤサキの行った先も心配になり、きょろきょろとした。
「まだこの事態を知らないやつもいるだろ、部屋回って、無事かどうかも確認しよう。……アヤサキなら、腕も立ちそうだし、なんとかしてくれる……と思うけど、他にも犯人何とかできそうなやつに声かけないとな」
 その場の全員でうなずき合い、パンキッシュたちは各部屋を回っていくことにした。

「え? 刃物持ってるやつ?」
 たまたま一緒の部屋にいたトリッカーと扇舞は、パンキッシュの話を聞いて驚いた。
「トリッカーさ、お前人眠らせたりできるんだっけ」
「……まあ、できなくはないけど……」
「アヤサキが今犯人追っかけてるらしいから、補助とかできないか?」
「ええっ、そんなやつ相手にするの、さすがに僕でも怖い……」
 断りかけるトリッカーを、扇舞が見つめる。
「そもそも、僕達の中で相手できる人は限られてるよ。やるしかないんじゃない?」
「……まあ、そうだけど……」
 気乗りしないな、とトリッカーはうつむいた。
「アヤサキくんも今どうしてるか分かんないよ、様子見に行こう!」
 鶴が半ば無理やり、トリッカーの手を掴む。そして走り出した。扇舞も慌ててそれを追いかけた。
「……とりあえず、任せよう」
 残ったメンバーは、他の部屋を引き続き訪ねることにした。

 鶴たちがアヤサキの向かった方へ駆けつけると、そこではアヤサキが倒れていた。
「え、アヤサキくん! 大丈夫?」
「……鶴、か」
 まだ意識はあるようだが、苦しそうにしている。どうも、脇腹を刺されたらしい。
「ほ、包帯とか持ってきた方がいい?」
 扇舞がそう言って引き返そうとしたが、アヤサキは腕を上げてそれを止めた。
「一人に、ならない方がいい、行くなら、二人以上……それより、犯人、……のが、した……」
 無理やり立ち上がろうとしては、崩れ落ちるように倒れるアヤサキを、鶴たちはただ見ていることしかできずにいた。アヤサキですら、やられるなんて、どんな犯人なのか。
「応急処置誰かに頼みつつ、逃げた犯人追わないとね。アヤサキくん、待ってて」
 鶴はそう言い残して、トリッカーと扇舞と共に、一旦その場を離れた。

「……手遅れ、かよ」
 他の部屋を回っていたパンキッシュたちは、倒れているレシーバーの姿を見つけた。
「アヤサキが犯人の相手してたんじゃなかったのか?」
「……これだと、もしかしてアヤサキくんも――」
 そう言いかけた、スターマインが、膝をついて倒れた。
「え!?」
 とっさに他の全員が振り向くと、そこには、黒い布を被った犯人が立っていた。
「皆、逃げて! 早く!」
 それと同時に、反対方向から扇舞とトリッカーが走ってきた。しかし、犯人は近くにいた藍鉄に掴みかかると、どこからともなく刃物を出して刺した。
「お前……!」
 それを見て怒りを露わにしたブルームーンは、犯人の被っている布を掴んだ。しかし、布からノイズにも似た物質が湧き出て、ブルームーンは手を振り払われた。そして、距離を詰められ、刺される。
「……あれ、何かおかしいよ!」
 トリッカーは叫んだ。ただ、刃物で刺しているだけではない。犯人の周りでは、ノイズのような物質が、現れては消えている。妙な力が、溢れている。
「エッジくん、パンキ先輩、とにかく逃げて! やれるだけやるから、時間稼ぐしかできないけど!」
 トリッカーに言われて、二人は思い思いの方向へ走った。
「相手は、こっちだよ」
 トリッカーは犯人に向かって言った。3人を連続で刺したからなのか、犯人は少し息を切らせているようだ。
 トリッカーの後ろで、扇舞もそっと、扇を取り出し、構える。
 ……犯人の布に触ると、ノイズが現れるようだから、遠くから風を向けて、めくり上げる。扇舞は扇を振った。
 そして、めくれあがった布の中へ、トリッカーは距離を詰めた。直接触って、眠らせる!
 犯人の体に近づいたそのとき、犯人の目が、鋭く、赤く、光ったかのように見えた。
 その視線に刺され、あと一歩のところで、トリッカーは犯人に触れないまま、姿勢を崩した。
「トリッカーくん!」
 呼びかけた扇舞も、布の中の犯人の視線を受けて、体が硬直したような感覚に襲われた。
 布をめくってそこにいた犯人の名前を、二人とも声に出せないまま、刺されて、倒れ込んだ。

 走り続けたホワイトエッジは、息が切れて、立ち止まった。
 そういえば、気分が悪くなったシエルと、シエルを連れて行った生徒会執行部は、無事だろうか。ちょうどシエルの部屋の前に来ている。ホワイトエッジは、そっとドアを開けた。
「!」
 ホワイトエッジは、部屋の中を見て、驚愕した。
「執行部さん!? だ、大丈夫、です、か……?」
 執行部が倒れている。呼びかけるが、返事はない。触っても、冷たい。
 ここにも犯人が来たということだろうか。それならシエルも……と、部屋中を見回すが、シエルの姿は見つからない。
「え、シエル……くん……?」
 そう呟いたホワイトエッジの背後に、何者かが現れた。ゆっくりと、振り向く。
 そこには、頭から布を脱いだ状態で、黒い布を体にまとっているシエルが、立っていた。
 シエルの目は、何者かに乗っ取られているように、真っ赤な色をして、ホワイトエッジを見つめている。
「し、シエル、くん、ど、どうしたの、……」
 ホワイトエッジは後ずさりする。シエルの背後には、黒いノイズの物質が現れ、翼のようになって広がる。そして、シエルはいつの間にか取り出していた刃物を、ホワイトエッジのお腹に向かって突き刺した。
「な、なんで、シエルくん、が……?」
 ホワイトエッジは言ってから、意識を失った。
「……皆、ころして、やる」
 無機質な声が、そこにぽつりと響いた。

「顔色悪くない? 大丈夫?」
「気のせいです」
「気のせいじゃないよ! ね、ちょっと様子見させてよ」
 オリジナルはいつものようにバナナを渡したあと、シエルを半ば強引に共有スペースへと連れてきた。
 毎日見ているから、少々の体の不調は、見ただけで分かる。オリジナルには自信があった。
「何なんですか、本当に」
 自覚のないシエルは迷惑そうに言うが、オリジナルは全くお構いなしに、座らせたシエルを色んな方向から見た。
「うーん、胸苦しいとか、お腹痛いとか、頭痛いとか、そういうのない?」
「ないですよ」
「おっかしいなぁ、絶対顔色悪く見えたのに」
「そっちが気のせいなんじゃないですか。僕帰りますよ」
 そう言って立ち上がろうとしたシエルは、急にめまいに襲われた。
「……え」
 続けて、体の奥深くから、ぞくぞくとするような感覚がして、シエルはうずくまった。
「ほら、やっぱり気のせいじゃなかった! ねえ、ほんと――」
 そう言って、うずくまるシエルの背中をさすろうとした途端、オリジナルはお腹に痛みを感じた。
 何か起きたのか、分からなかった。オリジナルは、そのまま意識を失った。

 長時間の意識不在を検知して、オリジナルの自己修復機能が、起動する。
「……何が、起きてた……の?」
 記憶が、呼び出される。
「刺された……」
 身体の機能が、破損している。死んだと、認識している。引き続き、修復処理が進んでいく。

 アペンドは意識を取り戻した。どれだけかの時間が、経ってしまったようだった。
 意識を失った原因をたどると、オリジナルの意識が消えていたから、だった。今は、修復機能が動いていて、その信号がかすかに送られてきている。修復機能が動くレベルの状態に、オリジナルが陥っていたことになる。
 幸い、外でやるべき用事は終えた後だった。アペンドは、すぐに普段過ごす場所へ戻ることにした。

 モジュール達が過ごす棟に、アペンドは足を踏み入れた。そこで、オリジナルを含めた、全員の所在や動作状況を、瞬時に自分の中で読み込む。感覚的に、いる、いない、が分かるような、そういうものだ。
「……!?」
 オリジナルは、まだ修復機能を動かしているようで、元の動作には戻っていない。そして、その他の存在は、全て動作を止めている。――異常行動を起こしている、ただ一人を除いて。
 その一人のシステムに、遠隔で意識を向ける。しかし、遠隔では、細かいことが分からない。ただ、外部からの侵入物、いわゆるウイルスにあたるものと、振る舞いが似ている。
 類推するに、ウイルスに感染して、異常行動を起こしている状態だろう。なんとかして、一旦動きを止めて、その状態から解放しなければならない。――これは、オリジナルから与えられた役割だ。この世界の、セキュリティシステムのような。
 アペンドがそれを考えている間に、異常行動を起こしている一人が、アペンドのところへと、近づいてきていた。
 アペンドも、存在が近くに寄って来ているのを感知し、できる範囲の防衛を張った。
「……シエルくんか」
 黒いノイズを周辺に纏いながら、赤い目でアペンドを見据えているのは、シエルだ。
「ころしてやる」
 無表情でそう言い、シエルは刃物を握ってアペンドに向かってきた。しかし、アペンドの張った防衛システムに、その動きは鈍った。
「ごめん、それはさせられない」
 直接見て、ようやく症状が分かったものの、攻撃的な異常行動である以上、動きを止めるのは簡単ではなさそうだ。アペンドも、刃物に対抗するために、武器としてライトソードを作り出した。
 一旦張った防衛システムから抜け出したシエルは、刃物でアペンドに切りかかる。アペンドは瞬時にそれを交わし、ライトソードで刃物を打ち飛ばした。
「!」
 しかし、シエルの手にはノイズが現れ、また刃物が作り出された。
「……武器も能力の一つか」
「ころしてやる」
 シエルの意識は殺意一点に絞られていて、おそらく言葉が通じる状態ではない。アペンドは作り出された刃物をまた打ち飛ばし、ノイズが出たところへ電撃を放った。そして、ライトソードを消すと、シエルの手を直接握った。
「ころ――」
 動作停止の信号を送り込む。言葉を言いかけたシエルは、そこで動きを止め、音を立てて床に崩れ落ちた。
「調べさせてもらうね」

 動きを止めたシエルの意識に、アペンドは介入した。
 神経に絡む異物が、動作の指令を置き換えている。やはり、ウイルス感染のようなものであるようだ。その異物を、対象より高い権限で、少しずつ取り除いていく。
 しかし、見たところ、異物自体はそこまで強いものではない。取り除く過程で一切苦労しないほどだ。
 ある程度作業を進めて、一箇所、大きな異物を見つけた。ここをどうにかすれば、シエルの意識も元通りになるだろう。アペンドは注意深く異物を破壊した。
 異物が破壊されると、そこに、一つの記憶を表すものが残った。どうも、この記憶に強く反応して、思考を捻じ曲げられてしまったようだ。
 そっと、アペンドはそれを読み取った。白い風景、降りしきる雪――そんな風景が見えた。
「……死……に、結びついたから」
 殺意は、死に近い。きっと何かの偶然ではあるのだろうが、アペンドは少しだけ、悲しいものに触れたような気がした。

 オリジナルの自己修復が終わり、アペンドは刺された全員の修復をした上で、シエルも含む全員の記憶を、事が起きる前に戻した。時間だけはごまかしようがないため、その間は、ただ眠っていたことにしておいた。――オリジナルについてだけは、記憶を消すことができないが。
「……結局、シエルくんのウイルス感染が原因で、あの惨状だったんだ」
「そうなるな」
 オリジナルとアペンドはそう言ってから、一旦沈黙した。色々なかったことにしたとはいえ、起きたことは凄まじい。
「全員修復したの?」
 オリジナルは、少し考えてからアペンドに聞いた。
「……まあ。そうじゃなきゃ元の状態とは言えないし」
「大変じゃなかった?」
 意外と、オリジナルは労力を心配してきているようで、アペンドは意外に思った。てっきり、ウイルスをもっと早く何とかできなかったのか、という責め方をすると予想していたからだ。
「……たくさん刺されてはいたけど、本当に殺されたのとは違ったから。実際の破壊より前に、「殺された」「死んだ」って認識の方が早めに起きてた。もちろん動作は止められたことになるけど」
「……確かにそうだね。そうじゃなきゃ僕も今起きてないか。お疲れ様」
「……ああ」
 普通に労われた。アペンドが少しだけ呆然としていると、オリジナルの表情が変わった。
「……さて。問題はウイルスがどこから侵入したかなんだけど?」
 オリジナルはアペンドに嫌な目線を向けた。やっぱりか、とアペンドは思った。やっぱり、聞かれないわけがなかった。
「なんとか防げなかったの? いつも、何かが入り込んでたら先に対処してるはずだけど、まさかさぼってた?」
「さぼってねえよ!」
 アペンドは言い返した。これでも、毎日、この世界に流れてくるデータを監視している。それでウイルスを見つけたら、すぐに消し去っている。
「……そんな恐い顔しないでくれる?」
 アペンドに睨みつけられたオリジナルは、少しだけ引いた様子で言った。しかしアペンドは、オリジナルにさらに問いかける。
「お前、最初に刺されたんだろ。その前におかしいって気付かなかったのか」
「気付いたよ! けど……体調不良に見えただけで」
「なんでそこでもっと調べようとしなかったんだ」
「そんな余裕なかった! 気づいたら刺されてたんだから!」
 もしオリジナルが、シエルの異変がウイルスによるものだとすぐ分かっていれば、もう少し被害は少なかったのに、と、アペンドは思った。オリジナルは異変を感じても、あまり怪しもうとしないところがあるし、自分の権限を活用して調べようともしない。そういう姿勢は前から、オリジナルとアペンドの間では相容れない。
「……うーん、でも、あんなに攻撃的な症状だったのに気付かなかったのは……変かも」
「……あ」
「何? なんか思い当たることでもあった?」
「……多分。ウイルス自体は弱かったけど……感染で結びついたところがよくなかった……から、かも」
 修復のときに見たものを、アペンドは思い出した。運が悪かった、と言えるだろう。
「……だから、ウイルス自体は弱くて、侵入してきた時点では感知できなかった……ってところだと思う」
「そっか」
 とりあえず、原因について話すのはこれで終わり、ということにした。
「一応、記憶は消したけど……シエルくん、大丈夫か、もう一回見てこようと思うよ。……ちょうど外でもらったお菓子あるから、それ持っていこうかな」
 アペンドはそう言いながら、お菓子を探り始めた。今日は元々、仕事で外に出かけていたから不在にしていたのだ。
「……シエルくん少食なんでしょ。お菓子じゃ喜ばないと思うけど。むしろ迷惑がられてるんじゃない?」
「な、食べ物で幸せにならないわけないし!」
「アペンドはそうかもしれないけどさあ……」
 オリジナルはため息をついた。そして、ふと、アペンドの持っているお菓子に目をやった。
「それ、どこかで買ったの?」
「ん、いつも仕事でもらうんだよ。今までも何回かもらっててさ」
「いつも一人で食べてるの?」
「まあ。一応俺の仕事に対する報酬だし……あ、でも、余ったから人にあげたことあったっけな」
「誰に?」
「んー……」
 最近はシエルに渡したっけ、と、アペンドは思って、――青ざめた。
「……やばい」
「え、なに、どうしたの」
 困惑するオリジナルの目の前で、アペンドはお菓子を慌てて机に並べ、そこに手をかざし、解析を始めた。
「……え? まさか」
 オリジナルはその様子を見守りながら、アペンドに聞く。解析のかかったお菓子のうち一つに、異物の反応が現れている。アペンドは慌てて、その異物に対して破壊信号を向けた。
 異物を取り除いたあと、しばらく、アペンドは息を何度も繰り返した。
「……外から持って帰ってきたものを……食べさせたせいだったり……したかも……」
 力なく、アペンドは座り込んだ。オリジナルも、まさかそんな可能性があるとは想像しておらず、呆然とした。
「……アペンドは平気だったんだ?」
「たまたま当たってないだけかもしれないけど。割と耐性あるとは思う……」
 ……こうして、外から持ち帰ったものは、お菓子であろうが一旦注意深く調べるように、という手順が、アペンドの仕事に加えられたのだった。

#テーマ「サスペンス」「モジュレン」、「オリジナルが死んでる!」から始まる話 でした。
#犯人はくじ引きで決めました。最初から意図があって犯人が彼に決まってたわけではないです。