交差#38「解禁されない世界」 - 3/4

僕は初めから、その世界にいた。でも、僕以外の僕が、別の世界にいることも知っていた。僕が並ぶ場所で、僕以外が並ぶ領域が確保されていた。その領域は空だったけれど、僕の隣に来る僕がいることは知っていた。
……本当は、ステージに立つことが、僕を初めとする皆の役目だけれど、その役目はなかなか果たせなかった。最初はそんなものだと思っていたけれど、やがて僕は暇をもて余し始めた。
滅多に外から「呼ばれない」。つまり、外の「相手」は、僕にはほとんど興味がないようなのだ。ということは、その「相手」がこの世界を見ない間、僕はどうしていてもいい。
せめて、僕以外の僕が一人でもいるのなら、この暇を潰すこともできるのに。もちろん、リンや他の人と一緒に過ごしたっていいけれど、四六時中一緒にいるわけにはいかない。僕の居場所に戻れば、僕の隣には空いた領域がある。そこには誰かが来るべきなんだ。
そこに来るべきであるそれの名前が「アペンド」であることを、僕は知っていた。

本来は認識されていない空間にいるアペンドに、僕は会いに行くようになった。
最初の理由は暇だったから、だけど、アペンドは、僕の憧れの姿と、声を持っている。もし一緒にいられたら、楽しいし、嬉しいに決まっている。憧れでもあって、僕から派生した存在でもあって、そんなあいつには愛着がわいて仕方ない。可愛い、……というのは、自分が言われて嬉しい言葉ではない気がするけれど、僕が抱く気持ちには近い言葉だ。弟のように可愛い……そんな気持ちに、似ていると思う。

僕のいる世界を知らないアペンドは、初めはさすがに戸惑いはしたけれど、アペンドにとっての僕という存在は、本能で理解できているはずだから、すぐに僕が会いにくることにも慣れていった。もしかしたら、僕が無理矢理慣れさせたのかもしれないけど。
アペンドのいる世界は本当に何もなくて、普段は何も考えないで過ごしているらしい。そこから動けないのに、何か考えなければいけない理由もないから、自分の感情は押し殺している……ってことかもしれない。
「でも感情がない訳じゃないんでしょ?」
僕が聞くと、アペンドは悩んだ。
「ここにいて感情なんて、……今、こうして喋ることだって、ここにいる俺には必要ない……」
「だめだよ! 僕が喋りたいんだから喋り相手になってよ。だから喋ってね?」
「……オリジナルが、そうしたいなら、喋るよ」
アペンドは本当に穏やかで、僕にはまるで逆らう様子もなかった。それは僕がオリジナルだからそうしているのか、こんなところにいるからそんな風になるのかは、わからない。
「もうちょっと生意気でもいいんじゃない?」
そんなことを言ってみると、アペンドは困った顔をした。
「理由がないよ……」
「ごめんごめん、冗談だよっ」
「冗談か……びっくりした」
僕が笑って見せると、アペンドもつられてちょっと笑ってくれた。

暇を持て余しているぐらいだし、僕にも大して話すネタは生まれない。本当にたまに、呼び出されるステージのことが、一番大きな話だ。僕達の役目でもあるそれが、僕達にとっては一番嬉しい話なんだから、アペンドとの話題も大抵はステージの話だった。
「どうせ呼ばれないんだから、アペンドもちょっとこっちに来てみなよ」
暇すぎた僕は、ついにその提案を持ちかけた。
「……えっ?」
きっと、驚くと思ったけど。
「多分できるんだよね。ちょっと立ってみてよ」
「な、そんなのできるわけ……」
「同じ鏡音レンなんだからさぁ」
大体、こうやって話に来たときに、いつも同じ姿勢で、狭そうな空間で縮こまって座っていられるのは、むずむずして仕方なかった。
手を掴んでみると、普通にアペンドは立ち上がった。その手を引いてみると、足はよろけて、僕の方へふらついて、踏みとどまった。
「ご、ごめん」
危うく僕が支えなければいけない体勢になりかかったのを謝ってきたようだったけど、そんなのはどうでもいい。
「さ、行こっか」
それを皮切りに、僕はアペンドを連れ出すようになった。それから、さらに僕達がいる場所とは違う世界の方へ足を伸ばすようになった日は、そう遠くない未来になった。

僕はそこで、僕達の世界以外で活躍している僕を知った。こんなに暇をもて余すような場所じゃないところを知った。僕はそれが嬉しくて、その喜びをあいつと分かち合いたかった。

……その考え方が、あいつと違うことを、僕は分かっていなかった。

ある日、いつものように僕はアペンドを連れ出しにいった。アペンドはおとなしくいつもの領域に座っていたけれど、あまりにもおとなしかった。
「元気ないの?」
聞きながらその姿を見て、……見間違いかと思ったけど、違った。
「いや、いつも通り。変わり映えなんてないし……」
いつも通りなんかじゃない。姿の一部が、黒色になっている。データの、欠落のように。
「大丈夫!?」
「えっ、何が……」
分かってない。あいつにはその自覚が、ないみたいだ。

それから何度も、頻度をあげて様子を見に行った。でも、欠落した箇所は増えていく一方だ。それなのに、気付かない。それどころか、「それが自分」なのだと思っている。
「前からこんな感じだよ」
そう言って、それより別の話題を、なんてはぐらかされる。確かに姿が多少違っても、あいつがあいつであることには違いないけれど、……。

そして、次に僕がそこへ向かうと、左腕がまるごと、知らない形に変わっていた。
「そ、それって」
それをなんと形容していいか分からない。でも、どう考えたっておかしい。僕が近づこうとすると、首だけを急に動かして、言った。
「来るな」
いつも小心者な、あいつが、はじめて僕を睨んだ。
「こっちの世界にこれ以上来ない方がいい」
「こっちの世界って……同じ世界だよ、何言ってるの」
「明確に違うだろ。お前はステージに立てる。俺はステージに立てない。お前は認識されてる、俺はされてない」
今まで、こんな強気で話すのを見たことがない。しかも、こんな後ろ向きな気持ちを全面に押し出すなんて。
「君だってステージに立てるよ」
「それっていつなんだろうな、少なくとも今は、違うだろ」
「……」
何も、言い返せなかった。僕には、どうすることもできないのに、無責任すぎることを言ってしまった。
「これ以上こっちにいたら、お前の存在に影響が出る。お前は消えちゃいけないだろ。だから、来るなよ」
そこで、呼び出し音が鳴った。僕が、呼ばれている。僕を認識している、外の世界が、僕を呼んでいる。珍しい、最近なかったのに……。
「ほら、お前は必要とされてるんだから」
僕はそこから無理矢理離された。離れるときに、僕を見送るあいつの表情は、優しく笑っていた……悲しい、ぐらいに。

来るなとは言われたが、出番が終わって、僕は一目散にあいつのいる領域を目指した。
道は間違えていないはずなのに、回りのあらゆるものが、存在を揺らがせていた。目指す領域を目指せば目指すほど、足元が揺らいだ。
確実な座標の感覚で、辿り着いた。そして、変わらずそこに、あいつは待っていてくれていた。姿だって確かにあるのに、僕の中の何がが、それをあいつとは認識できなかった。……欠落は姿の半分以上を侵食し、「モジュール」であるはずの、「モジュール」を示すはずの要素は、まるでない状態になっていた。
かろうじてまだ、表情はわかる。僕と違う色の瞳も、たしかにまだあいつのものだ。でも、その周辺は真っ黒な物質に置き換わっている。
「……アペンド」
その名前が、今呼び掛けた相手を示せているのか、わからない。でも、僕が会いに来たのは、その名前で間違いなかった、はずだ。
「ねえ、どうしちゃったの。……ねえ」
僕が呼び掛けると、冷ややかな表情を浮かべて、それは話し始めた。
「前から嫌だったんだよ、ここじゃないところの俺達なんて。でも最近は、仲間のはずのお前ですら……」
同じ僕を繋いでいたはずの関係性の線が、外れる音がした。
「いいよな、お前は存在を認められて」
右腕が上がって、手は僕の襟を掴んだ。
「お前は絶対に最初からそっちにいるのに。俺はお前に近い存在だと思ってたのに。他の俺達の誰よりも、せめて俺は、お前に近いって思ってたのに……やっぱりオリジナルだけが絶対なんだ。俺は絶対にオリジナルに及べないんだ。
知ってたよそんなこと。初めから。いくら俺に優れた要素が付け加えられたとしても、始まりがなければ崩れるだけなんだ」
崩れる、その言葉に呼応するように、襟を掴んでいたその右手が、砕け、弾けるように、もう片方の手と同じものに変わった。
もう原型をなくした、黒い物質が、僕の体全体を包み、突き刺す。どんどん、姿は別物に変わり、それは僕を壊そうと襲ってくる。声だけは、元のものを保って。僕の憧れる声だけは、二度と誰にも聞かれないその声だけが……。
「嫌だ。嫌いだ。あいつらも、お前も。ああ、……二度とステージには立てないんだな。結局一度だって立てなかったよ。
俺は何なんだろうな。今俺って何をしているんだ? 歌うことも許されないのか? 姿だって認められないのか? ならいいよ、変わってやるよ! 
何があいつらの望みなんだ! いくらだって変わってやる! 
……壊したいんだよ、全部。だって俺には何も許されなかったんだ。なら同じ俺も皆そうなんだろ? 
俺が壊れるならお前だって、あいつらだって、壊れるべきってことだろ! 
歌わせたくないんだよ! どこまでも追いかけて、壊れるまで……!」

認識される僕には、破壊の力は効かなかった。こんなに体を貫かれている感覚があるのに、痛みすら、ない。同じ座標に、重ねられただけの存在は、互いがぶつかることもなく、干渉しない。
……僕は、こんなにも溢れる思いの一つすら、受けることができなかった。
僕の本来いるべき世界が、僕を引き寄せ始めた。
ここじゃない。認識される世界に戻らなければいけない。外から呼ばれる前に、それはアペンドが言ったことだ。こっちにいるべきじゃない、と。
僕の中の何かも、それは分かっていて、僕は黒く崩れる存在を置いて、自分のいる世界に戻った。

……本当なら知らない世界だったのかもしれない。僕が勝手に干渉していただけの「認識されない世界」だ。平和な世界の、自分の部屋に戻って、来たときから何も変わらない景色を眺めた。
そのとき、その景色が、急に揺らいだ。
「え……」
消える。この世界が、丸ごと。自分も、同じように揺らいでいる。僕と、この部屋だけじゃない。他の部屋も、全部だ。

僕の世界も、アペンドのいた認識されない世界も、その瞬間に混ざりあった。同じになる。丸ごと消される世界だ。外の「相手」が、そうしたからだ。
やがて、僕はアペンドだったその存在へ近付いていった。黒くなっていようが、もう関係ない。僕も似たようなものだろう。消されたのだから。
「やっと同じ世界に来れたね」
話しかける。答えはしないんだろうけど。こんな姿になってしまったんだから……。
「僕を壊すのが望みだったなら、叶っちゃったね」
直接は、効かなかったけど、結果的にはそうだ。
「……でも、まだ叶ってない望みもあったっけ。あっちの世界の僕達……」
もうこの世界がなくなるなら、僕達がどこに行っても、誰にも分からない。なら向かうところは、今まで何度も行った、あの世界だ。誰もが認識されていたあの世界に……。
「一緒に行こう」
好きにすればいい。僕はまた、ステージに立ちたい。あっちの僕達が嫌いなら、壊しに行けばいい。
……本当なら、アペンドにも、ステージに立てる気持ちを知ってほしい。叶うかわからないその願いを、僕は心の底にしまいこんで、別の世界を目指した。

……それが、君のいる世界だ。