いよいよ、文化祭当日になった。校門には美術チームの作った看板が取り付けられ、駐車場には各部の出店が並び、校舎内外にはポスターや飾りがいたるところに貼り付けられ、いつも過ごしている敷地内とは思えない風景が広がっている。
開会時間前に、リンはとりあえず屋外ステージの近くに向かった。開会宣言がそこで行われるので、自分の部活などの準備がない人は大抵そこに集まっている。
開会時間になると、ステージ上で実行チームの代表が開会宣言を始めた。
「今日は一日楽しんで行こうぜー!」
さすがは代表というだけあり、その呼びかけには勢いがある。聞いていた生徒たちが一斉に声を上げ、その場はとても盛り上がっている。
この後屋外ステージでは、文化部や運動部が自分たちの展示や出店についてアピールする時間があり、トークショーがあったり、来場者を巻き込んだクイズ企画などが行われたりするらしい。
「ここだけじゃなくて! 体育館でもステージやってるから、そっちもよろしくな!」
拍手が起きる。リンは、少しだけどきっとした。……今日、ついに本番だ。昨日、確認として体育館のステージに立たせてもらったのだが、それを思い出すだけで緊張してしまう。
「リン、おはよう」
「!」
声をかけられ、リンはびっくりしてしまった。顔を向けた横に、レンが立っている。
「お、おはよう……」
「ちゃんと開会宣言聞いてたんだ」
「……うん」
「体育館のステージのことも言うんだな」
「そ、そりゃ……」
別に言わなくてもいいのに、と言いたげなレンの顔に、リンは困惑する。
「こっちはゲストとかも来るんだ」
「……レン、こっちのステージ見たかったりした?」
「いや、別に」
「……そっか」
「リンは見たかった?」
「私も別に……」
「ならいいな。ちゃんと終わらせよう」
「うん」
そんなことを二人が話しているうちに、実行チーム代表の話は終わっていた。体育館ステージのクラス代表の出し物は、一時間後に始まる。リンたちの出番は午前の部の最後なので、最後に軽く部室で練習をすることにした。
練習を終えて体育館に入ると、客席にいるのは数人程度だった。おそらく、屋外ステージか他の展示へ人が流れているからだろう。
「少ないね」
あまり聞いてもらえないのはもったいないな、とリンは思ったが、レンは安心した顔をしている。
「緊張しないから助かる」
リンもそうだろ、と言いかけて、レンはやめた。リンは、自分からステージ企画に出ようとしたわけではないが、今日のために頑張って伴奏を練習してきている。だから、自分と同じなんて思ってはいけない。そう言い聞かせる。
ステージ袖へ行くと、実行チームの人たちが何人か待機していた。ステージ上のマイクやキーボードのセッティングを手伝ってくれる段取りになっている。袖からは、他のクラスの生徒がバルーンアートを披露しているのが見える。この次が、リンとレンの出番だ。
「ありがとうございましたー」
バルーンアートは終わったようだ。二人は小さく拍手をして、ステージからはけてきた生徒を見送る。その生徒は二人に軽く礼をすると、そこを去っていった。
「次は少しセッティングがあるのでお待ち下さいねー」
屋外に比べて、こちらの司会進行は穏やかだ。実行チームの人たちによって、マイクとキーボードの配置が終わると、リンとレンはステージへと上がった。
「次は歌を披露してくれるそうです! それではどうぞ!」
体育館に来たときと比較して、客席側にいる人数に増減はない。さっきしてきた練習と全く変わらない気持ちで、リンは伴奏を弾き始めた。スピーカーから音が出るのもあり、部室の中とは違う響きになる。
そこに、レンの力強い歌声が入った。初めてその歌声を聞いたときの感覚に似たものを、リンは感じた。空気の振動が、耳や肌に伝わってくる。……やっぱり、上手だ。かっこいい。何度も練習してきたけれど、この一回で終わるのが惜しい。
鍵盤上の自分の手を見るのが精一杯だが、リンは少しだけ、前で歌うレンを視界に入れた。後ろ姿からは、レンがどんな表情をして歌っているのかは分からない。自分も客席で聴きたいぐらいだが、すぐ後ろというのもきっと特等席なのだろう。
曲が終わると、客席にいた人から拍手が上がった。
「ありがとうございましたー! 午前の部はここまでです。午後もまたよろしくお願いします!」
司会がそうアナウンスする中、リンとレンはステージ袖へとはけた。その先で二人は、大きな拍手に迎えられた。
「お疲れ様ー!」
さっきステージ上のセッティングをしてくれた人たちや、音響機材の担当をしていた人たちが、割れんばかりの拍手をしている。その誰もが表情を輝かせていて、リンもレンも呆然とした。
「お疲れ様! 君歌うまいね!」
司会をしていた人もステージから走ってきて、まずレンにそう言った。周りは皆うなずいている。
「いや、ほんと……この時間に組んだの間違いだったって。午後だったらもっと……いや、ちゃんと宣伝してたら……もっと人来るときにすればよかった、こんなうまいなんて……もったいなさすぎ、え、っていうか軽音部じゃないよな?」
「ただのクラス代表なんで……」
気持ちと表情が全く落ち着いていない相手に対して、レンは困惑しながら答える。
「軽音部はないって」
「ないのなんかの間違いだろ!」
「あー、ほんと俺こっちのステージの担当でよかった、めっちゃいいの聴いた」
さっきまでステージの準備などに真剣に取り組んでいた人たちが、あれこれ喋って盛り上がっている。司会の人も、ステージ上では落ち着いた喋り方をしていた気がするのに、ここに来た途端テンションが上がっている。やはり、文化祭の実行チームになるような人たちは皆、こんなタイプの人なのかもしれない。
「あっ、君も伴奏お疲れ様! 弾けるのすごいよ」
「ど、どうも……」
リンもそう言われ、困惑しながら答えた。でも、レンの歌に対する反応は、共感するところがある。もっとたくさんの人に聴いてほしかった、一回聴いて分かるほどのうまさだったということだ。――だが、この場にいる全員から絶賛されているレン本人は、あまり嬉しそうには見えない。リンはそれを、なんとなく感じ取った。
「ありがとうございます……そろそろ帰ります」
レンが小さい声で言うと、相手がはっとした顔をした。
「あ、ごめんな引き止めて! 文化祭楽しんでなー!」
「はい、ありがとうございました」
ステージで使っていたキーボードを引き取って、リンとレンは体育館を後にした。
部室に戻り、キーボードをとりあえず机の上に置く。それを見下ろして、リンは本番が終わったことを実感した。
「終わったな」
リンの横顔に、レンはそっと声をかける。リンは、キーボードを見下ろしたままでうなずく。
「……レン、ほんとにありがと……」
それまでの緊張が一気に解けた途端、リンの目からは涙が溢れ出した。
「……リン、泣くのほんと悪い癖だぞ」
レンは、ポケットに入れていたハンカチを取り出した。またリンが泣くだろうな、と思っていたのも変な感じだけれど、予想通りだった。
「ほら」
涙を拭っているリンの手に、無理やりハンカチを近づける。リンはされるがまま、涙をレンに拭かれた。
「俺が泣かせてるみたいで嫌なんだって」
「う……嬉し涙……だもん……」
「……分かったよ、じゃあ気が済むまで泣いて」
レンはリンにハンカチを持たせ、机の下にしまってあった椅子を引いた。二人で椅子に座り、レンはリンの涙が止まるまで見守った。
「……ごめんね」
ようやく涙がおさまり、リンはハンカチを顔から離した。
「いいよ、謝らなくて」
「これ……洗って返すね」
「分かった。いつでもいいから」
「ありがと……」
リンが微笑んだのを見て、レンはそっとため息をついた。
「終わったんだし、そろそろ出店とか回らなくていいのか?」
「あ……」
リンはステージ企画のことで精一杯で、その後のことをすっかり忘れていた。
「誰かと約束してないのか?」
「皆部活の方行ってるし」
「そうだったな……」
皆部活の方で忙しいから、こうして自分たちがステージ企画に出る話になったのだった。
「……俺、お腹空いたからそろそろ行く。もう、ここ戻ってくる用事とかないよな」
「うん。キーボード片付けるぐらいしかないし、私がやるね」
「……じゃあ」
「行ってらっしゃい」
出店を一緒に回ろうか、というのはさすがに違う気がするし、レンは先に部室を出た。リンはその後ろ姿を見送ってから、キーボードを片付け始めた。