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夢忘/無謀/夢望 - 5/5

 週明けの教室で、リンは目でレンの姿を追っていた。休みにずっと考えていたお礼と謝罪の言葉を、いつ言うか考え続けた。朝や休み時間はいつも話す機会がない。やはり、放課後しかない。
 ステージ企画で歌ってほしいと頼んだのも、放課後だった。放課後、いつものように部活で人がいなくなるタイミングで、リンは勇気を出してレンを呼び止めた。
「レン!」
 もう教室を出ようとしていたところに声をかけたので、振り向いたレンの表情は、少しだけ迷惑そうに見えた。
「金曜日はありがとう! それに……ごめん」
 また、泣きそうだ。リンはそれを堪えてレンの顔を見つめた。レンは少し戸惑った顔をしていたが、リンの方に向き直ると、目を伏せた。
「……こっちこそごめんな」
 優しく、レンは言った。そしてレンも、休みの間にリンに言おうと考えていたことを続けた。
「リンのせいじゃないから。……俺のわがまま、だから」
「ううん、私が色々聞いたのが」
「違う、俺が答えなかったのが悪い。リンには色々聞いたくせに。……だから」
 まるで、文化祭の前までの日のように、二人は一緒に教室の外へ出た。
「この時間……さ、なんか、寂しくなって」
 レンが言って、リンはうなずいた。レンも同じだったんだと思うと、リンは少し嬉しくなった。
「毎日部室行ってたもんね」
「今、さすがにあそこ、使えないよな。許可とか取ってた?」
「うん……文化祭の日までにしてたから」
「だよな……」
 レンが、校門のある方へ少し歩く。リンが動かずにいると、レンは振り返った。
「今日、急いで帰らないといけない用事、あるか?」
「え? 特にないけど……?」
「……ちょっと、話さないか。近くに公園があるんだけど、そこで」
「……うん」
 リンがうなずくと、レンは安心したように微笑んだ。
 校門を出て、週末と同じようにレンの家がある方の道へ進む。週末は雨で、レンの後ろについていくのが精一杯だったが、今日は晴れているので、周辺の建物や看板にも目が行く。
「リンはこっちの方来ないよな」
「うん、駅まで以外の道は全然」
「そうだよな。公園、うちのすぐそこなんだ。中学のとき、友達と喋るときはよく行っててさ」
「そうなんだ」
 中学のときの友達……レンの母親の話を、リンは思い出す。一緒によく歌っていた友達のことだろうか。
 道を曲がった先に、公園が見える。遊具や噴水がある場所とは別に、ベンチが置かれている場所がいくつかあり、それぞれの区画は植えられた木によって仕切られている。レンは、ベンチのある方へと進んだ。
 ベンチのある場所は木陰になっていて、休むにはちょうどよさそうだ。リンとレンはそのベンチに座り、鞄も横に置いた。
「……誤解されてたら、いけないと思って。文化祭のステージのこと」
 レンはそう切り出した。
「人前で歌いたくないのは、本当だけど。でも、歌うのが嫌なわけじゃないんだ。それに、リンと一緒に練習してたときは、楽しかったから……だから、本当に、リンは何も悪くない。まずは、それだけ」
「……よかった」
「それで……音楽、何かしてたかっていうの……ちょっと、嘘ついた。ごめん。そのこと、話してもいいか」
「レンがいいなら、私は……聞きたいな」
「ありがとう」
 週末、リンが帰ってから、レンは本来答えるべきだったことをずっと考えていた。それを少しずつ、話していく。まずは、リンも見ていたあの本棚の中身だ。
「本棚にあった楽譜の本は全部……いや、文化祭で使ったあの本以外は、全部中学のとき、友達と使ってたやつで。左にファイルも置いてるけど、それも、中身は全部楽譜なんだ」
「全部?」
 リンが思い返す限り、たくさんのファイルが並んでいた。本棚の真ん中の段が、全部楽譜だということだ。
「中学のときの友達で、音楽好きがいたんだ。そいつ、楽器も弾けて作曲もできて。楽譜は全部そいつのだよ。俺は誘われて、一緒に歌ってた。よく、バンド組むならお前をメインボーカルにしたいとか言われた。俺は冗談と思って聞いてたし、そいつも本気では言ってなかったと思うけど……つまり、そういうことは、してた」
 リンは率直に、レンとその友達の歌と演奏が聴きたいと思った。多分、どこか「慣れている」ように見えたのも、そうやって友達と歌っていたからだ。だが、レンの表情から察するに、聴いてみたいとは言われたくなさそうな気がして、リンはうなずくだけに留めた。
「……楽しくなかった、って言ったら嘘だ。そいつの演奏を聴くのも好きだったし、そいつが作曲してるのを見るのも面白かった。音楽の話してるときはいつも生き生きしてるし、それに、曲を作ったら、絶対にその曲を俺に歌わせてくれる……しかもいつも嬉しそうに聴いて、最高だよ、なんて言って。こんな贅沢、ないと思う。お互いの家もよく行ったし、カラオケも行った。この公園にも」
 レンは、自分に影を落とす木を見上げた。リンは、座っている自分の膝を見下ろした。今座っているベンチに、レンとその友達が座っていたこともあったのかもしれない。
「俺からしたら、まず楽器が弾けるのがすごすぎて。キーボードは作曲で使うからもちろん、ギターも弾いてた。それに作詞もしてた。歌ものじゃないのも作ってたみたいだけど、どうしても歌ってほしいから作詞もするって言ってた……もう、訳分かんないんだよ」
 大きくため息をつくと、レンは手を膝に置いてうつむいた。
「俺は作曲もできないし作詞もできない。楽器だって何もできない。歌しか歌えない。あいつは何一つ嫌な顔しなかったけど、こっちは楽しく歌ってるだけで、なんの苦労もしてなくて……それがなんか、嫌になって。お互い悪いことなんか何もなかったんだよ。喧嘩もしてない。ただ、あいつの尋常じゃない熱意と技術についていけなかった。それで俺は勝手に挫折した。だから、高校上がったらもう辞めようって思ったんだ」
 とめどなく言葉を吐き落とすレンに、リンは息をのんだ。それは、今まで抱え込んでいたものを全て、落とすかのようだった。
「それを思ったのが、ちょうどいい時期だったんだよ。高校受験で忙しくなって、それまでみたいに一緒に歌うとかできなくなって。挫折したからとかじゃなくて、勉強を言い訳にできた。そいつ、頭も良くてさ。遠くの高校に行くことになって。まだスマホとか持ってなくて、連絡先も交換しなかった。お互い元気で、ぐらいは言ったけど……今頃頑張ってると思う。あいつなら」
 一緒に曲を作って歌って、おそらくはあの本棚を楽譜で埋め尽くすほどの回数、それをやってきたはずなのに、無縁になんてなるのだろうか、とリンは思った。でも、リン自身も、中学のときの誰とも接点がない状態で、遠くから電車で通う日々を送っている。レンほどの経験はないにしても、よく一緒に過ごしていた、気の合う友達はいた。それなのに自分も、その友達と連絡を取っているわけではない。
「俺は、高校に上がるこの一区切りが、すごくありがたかったんだ。ここで線を引けるって。俺が人前で歌いたくないのは元々の話なんだ。もしあいつに、もっと上を目指したいって夢があるとしたら、俺が引き止めることになる。だから、この際しっかり離れた方がよかった。……あいつ、普通に歌もうまいし……自分でも十分歌えるんだよ……」
 レンは、前に倒していた上半身を、そっと上げた。そして、おそるおそるリンの方を向いた。リンは、真剣な顔でレンの話に耳を傾けていた。
「……ごめん。どんだけ喋るんだよって話だな」
「ううん……」
「なんだろ……リンには、ちゃんと、昔の話も、しとかなきゃって思っただけなのに……言い訳ばっかりだ」
 リンは首を横に振って見せる。レンは、まだ弁解が足りない気がして、言葉を続けてしまう。
「俺、歌が嫌いなわけじゃない。むしろ好きで仕方ない。……けど、好きなままでいたいんだ。これ以上は知りたくない。嫌いになりたくない」
「……」
「怖かったんだ……一緒にやってて、目指したいもの、気持ちがずれてたらって思うと……。文化祭のは、……すぐ、終わるし、……リンも、仕方なくやってるはずだからって、決めつけて、勝手に安心して。ごめん……」
 決めつけたなんて思わなくていい、とリンは言いかけて、やめた。実際、レンの言う通りで、リンだって泣きそうになりながら話を引き受けてしまって、レンを巻き込んでしまった。だから、レンが決めつけたのではなくて、本当にそうだった。でも、それよりも、リンには思うことがあった。
「あ、あのね、レン! 私、レンが嫌だったら申し訳ないんだけど、――レンの歌を聴くのが好きだった」
「えっ」
「文化祭終わっても、まだ聴きたいって。他の曲も聴いてみたいって思っちゃって」
 レンは戸惑っているが、リンはどうしてもこの気持ちを伝えておきたかった。
「やっぱりレンは歌が上手だよ。私だって、もっと色んな人に聴いてほしいって思っちゃうぐらい。――でもね!」
 レンの表情が陰っていくのを引き止めるように、リンは声を強めた。
「上手とかより……私は単に、レンの歌がもっと聴いてみたい」
「……でも、人前はもう」
「あのね、考えたんだけど……人前じゃなかったらいい?」
「……どういうことだ?」
「カラオケで、聴かせてくれないかなって」
「……」
「私の、前だけ」
「それは、……人前とは言わないかもな……」
 レンは、一本取られたような気分になった。それに、リンの前ならいい気がした。文化祭前の練習の間、自分が歌うとリンが楽しそうにしていた。だから自分も、あのとき歌うのが楽しいと思えていた。それなら、歌ってもいいのではないかと、思えた。
「……どうかな?」
 レンはうなずく前に、少し考えた。
「……条件、いいか」
「何?」
「俺だけ歌うのは嫌だ。俺が一曲歌ったらリンも歌う、それで」
「私が!?」
「カラオケ行くのに、一人だけ歌うのはおかしいだろ」
「そ、それはそうだけど」
「行くなら割り勘するよな? なんだよ俺だけって」
「……」
 恥ずかしいけど、と思いながら、どうしてもレンの歌が聴きたいリンは、うなずいた。
「なら決まりだな」
 レンは、リンに笑いかけた。その表情からは、さっきまでの悩みが全て、消えているようだった。

 約束をした次の休日、リンとレンは待ち合わせをして、カラオケ店に向かった。そこはかつて、レンが友達とよく来ていた店で、同じ高校の人たちにとっても定番の遊び場だ。
 カウンターで諸々の手続きを済ませて、まずはドリンクバーで飲み物をコップに注ぐ。レンがサイダーのボタンを押しているのを横目に見ながら、リンもオレンジジュースのボタンを押して、レンと同じ量になるように調整した。
 カウンターでもらった紙に書かれた番号の部屋に入る。こうして二人で一つの部屋に入るのは、部室で練習していた頃以来になるので、カラオケに一緒に来るのは初めてだが、どちらかというと懐かしい感覚だ。
「文化祭でああやって何かやった後って、打ち上げをするものらしいな」
「そういえば……してなかったね」
「じゃあ、今日は打ち上げってことで」
 レンが、そう言ってコップを持ち上げる。リンも、それに合わせてコップを持った。
「乾杯」
 コップを打ち合わせて、一口飲む。それから、リンはレンを見つめた。今日は、レンが歌うのを聴くために来たのだから。
「……何見てんだ」
「何歌ってくれるのかなって……」
「約束、忘れてないよな。リンも歌うんだぞ」
「……うう」
 歌のうまいレンの前で何か歌うなんて、と、リンは思ってしまう。戸惑って、リモコンを操作する手もうまく動かない。
「……あの、さ。……俺が言ったからあれだけど、俺の前で歌うのは嫌とかない?」
 完全に緊張した様子のリンに気づいて、レンは不安になってきてしまった。
「えっ、……嫌……ってわけじゃないけど、その」
「自分で人前は嫌だって言っておいて、リンに無理強いするのはさすがに……」
「ええっ、もう来ちゃったのに! それはだめ、レンの歌聴きに来たんだもん、そのためなら歌うよ!」
「そんなにかよ……」
 急に必死になるリンに、レンは苦笑いしてしまった。
「ていうか、心配することないよな。音楽の授業でも普通に歌ってるし」
「き、聞いてるの!?」
「全く聞いてないってことはないだろ。そっちだって聞いてたんだし」
「そうだけど……」
 そんなことを喋りながら、お互いなかなか歌う曲が決まらない。よくカラオケに来ていたレンも、今回は割と久々で、気心の知れた友達の前ではないので、何から始めていいか迷っている。
「……リンはさ、電車待ちで曲聴いてるんだっけ」
「え、うん」
「プレイリストとかある?」
 リンはうなずいて、音楽プレイヤーをレンに差し出した。さらりと眺めると、割とレンが知っている曲が並んでいた。流行曲をそこそこ押さえているのもあるが、それ以外でも、意外とレンの好きな曲が入っている。文化祭で歌った曲も、互いの好みが一致したものだったから、もしかして趣味は似ているのかもしれない。
「いつもカラオケで歌ってる曲ってあるのか?」
「聴くのと歌うのとは違うよ! 歌えるのもあるけど、男性ボーカルとか無理だし」
「なるほどな……」
 じゃあ……、と、レンは、プレイリストの中から一曲、自分が歌えそうな曲を選んだ。
 その曲名を見て、リンは目を輝かせた。当然、プレイリストには好きな曲しか入れていないので、きっとどれでも嬉しいのだけれど、それをレンが歌ってくれると分かると、嬉しくてたまらなかった。
「リンも次、早く。時間もったいないから」
 前奏のうちにレンが目配せしてくる。リンは無言でうなずいて、自分もとりあえず一曲予約をした。そうしているうちに、レンは歌い始めた。
 それは、音楽の授業とも、文化祭のときの練習とも、また違う歌声だった。少し手探りだけれど、でも、リンにとっては、これまでの何よりも楽しそうに聞こえた。それに、やっぱり期待通りに上手だ。
「レンの歌でこれが聴けるなんて……」
 曲が終わると、リンは幸せそうに言った。一曲歌っただけで大げさすぎるだろ、とレンは呆れる。そして、間もなくリンが予約していた曲が流れ始める。
 両手でマイクを握りしめ、リンは歌い始めた。画面の字幕に視線を向けつつ、視界に入るレンをちらりと見ると、レンは微笑みながら、体でリズムを取っていた。そんな様子にどこか安心して、リンはいつの間にか、普段通りに歌っていた。
「リンも楽しそうに歌うじゃん」
 曲が終わると、レンはそう言って笑った。
「え、でも」
「俺、嫌いじゃないな」
 私なんてレンに比べて……と、リンが言うより前に、レンは言う。リンは、ありがとうと小さく頭を下げた。
「そ、それよりレン、次の曲入れてないの?」
「いや……この曲歌ってみたいんだけど。リン、一緒に歌わないか?」
 レンは、曲を予約せずに待っていたらしく、リモコンの画面をリンに見せた。そこには、プレイリストに入っていた、男女デュエットの曲が表示されていた。
「え、……レンが歌いたいならいいけど……」
「ありがと! こういうの一人じゃ歌えないからさ!」
 リンが少し戸惑っているうちに、レンはわくわくした様子でその曲を予約した。確かにその曲は、二つのパートが重なったり追いかけあったりして、そこが魅力だ。しかし、一人で歌うのは無理だから、カラオケでは諦めがちだ。
 まずは男声パートから始まり、レンがそこを歌い上げる。そこに、女声パートが重なり、ほぼ初めて歌うそれを、リンはなんとか歌う。でも、レンがとても楽しそうで、リンもそれに乗せられていく。
 曲が進むにつれ、リンも楽しくなる。そんなリンを見て、レンもさらに楽しく思える。
 ――自分が感じていたかったものは、これだったのかもしれない。きっと、今までの中で一番気の合う仲間に出会えたのかもしれない。レンは、自分とリンの歌声が重なるのを聴きながら、そんな思いを見出していた。

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