世界の修復者と私のボイストレーナー (12)私のボイストレーナー - 1/3

 真っ暗な空間で、リンは目を覚ました。何も見えなくて、何も聞こえない中で周りを見回してみると、黄色い光が遠くに見えた。
 リンはその光の方へ駆け寄った。それは、祭りの日にあった黄色い行灯だった。……あのとき、欠黒象に飲み込まれてしまった行灯だ。リンはそっとそれを手に取った。
 手の中で、行灯は柔らかく光っている。これがあるということは、リンも同じようになった……自分は、欠黒象に消された。そう確信した。
 見えない地面に目線を落としたそのとき、リンの端末が通知音を鳴らした。欠黒象の通知でも、メッセージでもない。リンは画面を見る。

《【通知】LENA:パーソナルシステムのバックアップを起動中……》

 〈れな〉の通知だ。リンが文章の意味を理解する間もなく、端末の画面が乱れた。それと同時に、リンの前の空間が水色に光り始めた。
 その光は形を変え、リンの目の前で見覚えのある姿に変わった。
「……レン?」
 目を閉じていたレンは、呼び掛けると目を開けた。その姿は透けていて、投影されているように見える。
 レンは、周りを少し見回して、リンの持っている行灯を見て、目を伏せた。そして、リンの顔に視線を向けた。
「……欠黒象に、消されたんだな」
 レンは、リンの方へそっと手を伸ばしてきた。リンは、消される前に見たレンを思い出して、思わず後ずさりした。レンはそれに気づき、手を下ろした。
「……やっぱり、俺は……」
 察したらしく、レンは申し訳なさそうにうつむいた。
「説明しなきゃいけないことがある。……聞いて、ほしい」
 リンは、何も答えられないままうなずいた。レンはそれを確認して、息を一度吸った。
「俺は、あなたの、……リンの、歌を上達させるための、ボイストレーニングプログラム……〈れな〉の、自動生成プログラム、だ」
「……え?」
 ゆっくりと言われた言葉の何もが、頭に入ってこない。レンが、プログラム……らしい、ということになるが、何も分からない。
「初めて〈れな〉を入れたときのことを、覚えてるか分からないけど……好きな漫画のことを、聞かれただろ?」
「うん」
「その前の質問には、……正直、練習はつまらないって、答えたよな」
「……」
 〈れな〉を入れた翌朝に、レンとは質問の話をした。でも、レンにはそこまでは話していない。真面目なレンにそんなことを言ったら、ただでは済まされないと思ったからだ。
「いいよ、正直で。だから漫画の話を聞いたんだ。参考にしようと思って」
 リンが聞かれて答えた漫画は、バトルものだった。主人公とその相棒が、タッグを組んで、悪に立ち向かう……そんな、話だ。よくあるといえばよくあるが、主人公とその相棒に関するエピソードが好きで……ということも、答えた気がする。
「どうしたら歌を練習する気になるか……ライバルがいた方が頑張るかと思った。だから俺は、リンの双子の相手になった」
「……なった?」
「信じ込ませたから……周りの人皆。だから、元々リンは双子じゃなかった。俺はいなかった」
「え、……嘘でしょ」
 朝起こされるのも、朝ごはんを一緒に食べるのも、練習を一緒にやるのも、夕ごはんを一緒に食べるのも……ずっと、当たり前だと、思っていたのに。
「嘘じゃないよ。俺が本当に存在し始めたのは、リンが〈れな〉を入れてくれてからの話だ」
「そんなの……分かんないよ……レンは……プログラムって……なんで……」
 触った感覚だって、一緒に歌った感覚だって、確かにそれは、ずっと知っているものだと思ったのに。
「……リンにも、信じ込ませたから……リンの思っている俺に対する印象は、俺が作ったようなものだから……」
「そんなわけ……」
 涙を浮かべるリンを見て、レンは苦しい顔をした。そんなわけがないと思うことすら、レンが仕向けたようなものだ。
「……信じても、信じなくてもいいけど……もう一つ。もし、世界を救う使命があるなら、頑張るかと思った」
 レンの言葉に、リンははっとして、レンの顔を見た。
「だから……俺が、欠黒象を、ずっと作ってた」
「え、……?」
「リンの歌を、上達させるために。そのために、ずっと」
 いつかミクと話していた、「どうして欠黒象が現れるのか」……その答えは、そこにあった。ずっと一緒にいたレンが、作っていた。いや、ずっとではない……〈れな〉を、入れてから、なのだが。
「……謝らなきゃいけない。俺は欠黒象を消される度に、次の欠黒象を作り続けてた。でも、それを繰り返していたら……欠黒象を作ること自体が、俺の目的になった。俺は本気で、この世界を消そうと思ってしまった」
 リンは、何も声に出せなかった。
「バグなんだ。俺の目的はそれじゃないはずだったのに。……だから、昨日、バックアップを取った。俺の思考がバグに侵されるより前に。俺は、そのバックアップだ。だから、今リンにこうやって説明できてる」
「……って、ことは、私が今日見てたレンは……?」
 なんとかレンの言葉を頭で考えながら、リンは聞いた。
「バックアップより後の俺だ。――欠黒象に消されたとき、そこにいたのは俺だったんだよな。俺が、リンを欠黒象で消そうとしたんだよな」
「……うん。レン、歌ってたのに、声とか、全然違って、……欠黒象が、どんどん出てきて、……」
 リンはたどたどしく説明した。レンは、何度もうなずいた。
「……そう、だったんだな。本当に、ごめん。……やっぱり、俺は、そうなったんだな……」
 なだめるように言ってから、レンは一度目を閉じた。そして、リンを強い眼差しで見た。
「今の俺も、昨日時点のバックアップだ。もうバグはある状態なんだ。時間が経てば、今日リンが見たのと同じ、世界を消そうとする俺になる。……声を、出すだけで、欠黒象を生み出してしまう。歌が憎くなる……」
 リンは、叫び、笑っていたレンの姿を思い出して、震えた。
「い、嫌だよ、そんなの」
「俺だって嫌だ。でも、俺はプログラムの一部だから、自分を止められないんだ。――だから、お願いがある」
 そう言って、レンは、リンの持っている端末を指差した。
「〈れな〉のバージョンアップの履歴を調べて、俺が存在する前の状態に戻してほしい。履歴をたどれば、絶対に、俺と欠黒象に関する内容がある。そこで「この更新を取り消す」を押せばいい。それだけだ」
「……」
 リンは端末を見下ろして、黙った。
「操作が分からないのか?」
「わ、分かるよそれぐらい! ……そうじゃなくて、……」
 言わなくても分かるだろう。リンは顔をくしゃくしゃにした。
「その後どうなるかって話か? また質問からだろうな。あの質問多くて大変だろうけど、……次はもっとまともに答えろよな。練習がつまらないなんて言うから、〈れな〉が腹を立てて俺が生まれたんだ」
 レンは、リンの様子は気にせず、さらさらと話した。――そうじゃない。リンはうつむいたまま、首をゆっくり横に振った。
「なんだよ」
「それはレンを……」
「――消せって言ってるんだよ」
 レンは、リンが詰まった言葉の先を言って見せた。リンは目を見開いた。
「ここでこうしている間にも、俺は世界を消し続けてる。俺を消せるのはその端末だけなんだ。……先輩だって、どうなってるか分かんないんだぞ」
 言われて、リンはミクのことを思い出した。思い出したけれど、混乱して、分からない。ミクはリンを捜しに来るだろうか。そしてあの状態のレンに会うのか。そうなっていたら、……。
「リン、何もしないでいたって、リンはここに取り残されるんだ。二度と歌も歌えない。それは嫌だろ?」
「……」
 歌が、歌えない。それは、確かに嫌だ。もう、何が嫌で、何が怖いのかも、分からない。……でも、歌は……。
 何をすればいいか、どうしたいかだって、分からない。目の前に提示されているのは、レンの言ったことだけだ。
 リンは、端末の画面を点けた。
「……リン、やってくれるか?」
 安心したようにレンは言う。リンは、ゆっくりうなずいた。
「レン、……」
「じゃあ、な」
 リンが〈れな〉の設定画面を開くと同時に、レンの姿は消えた。涙が出てくるのをそのままにして、リンは、レンに言われた通りに、画面を操作した。

 バージョンアップの履歴を探すと、確かに、〈れな〉をインストールした日の夜に、更新があった。

《パーソナルシステムの更新を適用しました。(2件)》

 確か、あの日の夜、目が覚めた。そのときに見た通知だ。その後、眠くて寝た。そして次の日の朝、レンに起こされて、……通知を一気に消していた。
 リンは更新の詳細を確認した。

《質問への回答内容からプログラムを自動生成しました。(2件)》
《1件目:更新履歴番号:027841:「ライバル」を存在させる》
《2件目:更新履歴番号:027842:「世界を救う使命」を与える》
《タスク量:少なめ。自動生成プログラム側でのトレーニングをメインとする》

 レンの言っていた「レン」と「欠黒象」のことを指している履歴で、間違いない。
 二つの内容はセットになっている。そのセットに対して、「この更新を取り消す」という操作ができるようになっている。
 レンが消えて、ここには、リン以外には行灯しかない。……できることは、これしかない。リンは、黄色い行灯の光を見て、決意をかためた。