世界の修復者と私のボイストレーナー (1)インストールした日 - 2/3

「……ン、リン!」
 名前を呼ばれている。
「……ん」
 リンが目を覚ますと、レンの顔が視界に飛び込んできた。
「朝だぞ」
「……お、はよう」
「おはよう」
 レンは、リンの机の前にある椅子に座る。リンは、眠い目をこすりながら、被っていた布団をよけて、ベッドに腰かけた。まだ、正直眠い。
「今日……」
「日曜だよ」
 何曜日? と言ってはいないが、レンはリンの聞こうとしたことが分かったらしく、言う。
「日曜? ……ならもっと寝れた……」
 布団に伏せてあった端末を手に取る。時刻は午前8時48分……学校に行く日なら遅刻だが、休日ならまだ寝ている時間だ。通知を一通り眺めて、特にメッセージは来ていないようなので、通知を一気に消去した。
「どんだけ寝るつもりだよ」
「レンが早起きすぎるの!」
 こうやって起こしに来るのも、……いつもだ。レンは平日や休日に関係なく、決まった時間に寝て、決まった時間に起きる。リンは、休日前なら少し夜更かしして、休日の朝はゆっくり起きる。
「今日何かあったっけ?」
 無理やり起こされたからか、頭がぼーっとしていて、リンは色々なことが思い出せなかった。夜中に目が覚めたような気がするし、もっと寝たいが、レンの表情を見るに、それは許してくれなさそうだ。
「歌の練習」
「ええっ、そうだっけ」
「そうだっけ、じゃなくて」
 レンはもう着替えを済ませていて、すぐにでも練習に行けそうである。対するリンは、もちろんまだパジャマである。
「休みの日こそ練習するんだよ。自主練」
「ええーっ」
 ……真面目。真面目すぎる。本当に、そう。相方がこんなに真面目で、自分がこんなにめんどくさがりなのは、情けないとは思っている。でも、それにしたって真面目すぎる。
「リンも入れたんだろ、ボイストレーニングプログラム」
「……うん、入れたよ」
「練習タスクが出ただろ。それをやるんだよ」
「まだ見てない……」
 リンは、端末の画面からボイストレーニングプログラムのアイコンを必死で探す。その様子に、レンは大きなため息をついた。
 〈れな〉。それが、ボイストレーニングプログラムの名前……愛称だ。「あなた専用のボイストレーナーになるプログラム」がコンセプトだから、「トレーナー」から持ってきて〈れな〉という名前なのだという。しかし、アルファベット表記が「LENA」で、元の英単語と違うし、声の練習に特化しているはずなのに、ボイスの要素はどこに行ったんだ……などと、言われている。
 そんな突っ込みどころがありつつも、使う人によってシステムが自動で構築され、その人に合ったボイストレーニングを提案してくれる……というところは、歌を仕事にしている人たちからは評価が高い。リンとレンは、先輩であるミクに勧められて、〈れな〉を使い始めることにしたのだ。
 リンは〈れな〉を立ち上げた。短いロードの後に、画面が表示される。白背景に、パステルカラーで、すっきりしたデザインだ。
 中央に、メッセージが現れる。

《おはようございます! 今日はこれをやってみましょう!》
《【タスク】発声練習:★☆☆☆☆》
《無理せず頑張りましょうね》

「おお、確かにタスクが出てる」
「ふーん」
 椅子から立ち上がったレンは、リンの端末の画面を覗き込む。
「かわいらしいデザインになったんだな」
「え? ……レンは違うの?」
「うん」
 レンは自分の端末の画面をリンに見せた。
「え、全然違う。これ〈れな〉なの?」
「タスクが出てるのは一緒だろ?」
 あまりにもデザインが違って、リンはびっくりしてしまった。レンの画面は、真っ黒な背景に、水色の文字でタスクが書かれている。フォントも違うようで、リンの方は丸みを帯びたフォントなのに、レンの方は堅苦しいフォントだ。とても同じアプリケーションとは思えない。
「入れた後に色々質問があったよな。そこから解析されたってことだろ」
「直接デザイン選んだ覚えとかないんだけど……自動で?」
「だと思うよ。俺もこのデザインを選んだ覚えはない」
 〈れな〉のインストールが終わった後は、初期設定として色々な質問に答えることになる。まずは性別とか、簡単なプロフィールを聞かれた。そして、音楽に対することを、色々と聞かれる。その質問に答えた結果が、今の画面なのだ。
 レンの暗くてクールなデザインの画面を見て、本当にレンの堅苦しい性格がそのまま現れたんだな、と、リンは思った。――そして、よくよく画面を見て、リンは眉間にしわを寄せた。
「レン……タスク多くない……?」

《今日も一日頑張りましょう》
《【タスク】発声練習:★☆☆☆☆》
《【タスク】発声練習:★★☆☆☆》
《【タスク】発声練習:★★★☆☆》
《【タスク】ロングトーン》
《【タスク】ファルセット1》

 今見えている分でそれだけあって、どうやら下にもいくつか続いているらしい。
「そうか?」
「え、レンそれ全部やる? きつくない?」
「普通だろ」
「……」
 この、練習馬鹿はこれぐらい余裕なのかもしれない。朝から自主練なんて言っているほどだ。
「いくら使う人に合わせて変わるからって、こんなに変わる? え?」
 リンは騒ぎ立てるが、レンは全く疑問に思っていないようだ。
「質問の解析結果がこうだったってだけだろ。合わなかったらまた調整される」
「レン、質問にどう答えたらそうなるの……」
 リンは、やっと目が覚めてきて、昨晩の記憶もだんだんはっきりしてきた。やたら長いダウンロードとインストールの末に、さらに初期設定のためのファイルのダウンロードがもう1回あって、そこから色々な質問が始まったのだ。レンも、同じように質問を受けて、それに答えたはずだ。
「今は歌う仕事を始めたばっかりとか、まだ練習が足りてる気がしないとか、もっと今やってないトレーニングをしたいとか、甘えを排除したいとか」
「そんなこと言ってたらそうなるか……」
 聞いているだけでも頭を抱えたくなる真面目さというか、自分に鞭打つのが好きすぎるというか。そんなに自分の首を絞めて楽しいのだろうか……と、リンは思うのだが、おそらく、レンにとってはそうではないのだろう。ボイストレーニングプログラムの前で「練習は嫌いです!」なんて答えるのはおかしいだろうし、ちょっと盛ったのだろう。……多分。
「逆にリンは? なんて答えたらこうなった?」
「……」
 レンが睨んでくる。リンは目線を反らした。
「あのさ、レンって受けた質問、全部歌の練習のことだったんだよね」
「は? 当たり前だろ。なんで」
「私、途中から歌の質問じゃなかったよ……?」
「え……」
 リンは、寝る前のことを頑張って思い出していた。簡単なプロフィールを聞かれた後、初めは確かに歌のことを聞かれた。
 レンに言ったら怒られるだろうが、「ボイストレーニングは十分できていると思うか?」と聞かれて「正直つまらないから、全然できていないかも」と答えた。その後「ボイストレーニング以外のことも聞いてみましょうか」と言われ、好きな漫画の話を聞かれた。質問はどんどん漫画の話を掘り下げていき、漫画のどこが好きとか、どういうのに憧れるとか、気づけばそんなことばかり聞かれていて、全然歌の質問ではなかった。
「最後の方、あの漫画のキャラクターの関係性とか、世界観とか、そんなことばっかり話してたような気がする。私も聞かれて答えてるうちに楽しくなっちゃって……」
「最初の質問も、使う人によって変わってるってことか」
 レンは納得した表情をして、それから、自分の端末の画面を切った。
「――それより、さっさと練習したい。リンも早く着替えろよ。先にレッスン室行ってるから」
 そう言うと、レンはそそくさと部屋を出ていった。さすがにレンの前で着替えるわけにもいかないし、レンもそれを見たくはないのだろう。
「はぁ……めんどくさいなぁ」
 リンは、レンがいなくなったのを確認して、呟いた。練習なんて……と思ったが、ここでレンと一緒に練習しに行かなければ、自分一人で自主的にやるわけがない。せっかくミクに勧められた〈れな〉も、初日から使わないわけにはいかない。歌の仕事だって始めたのに、いつまでも怠けていてはいけない。
「……頑張ろ」
 リンは着替え始めた。