世界の修復者と私のボイストレーナー (6)先輩とくつろぐ - 1/2

 ミクも、リンが住んでいるのとは別のアパートに、自分の部屋がある。一応、同じ事務所なので近辺だ。しかし、道路を挟んでいるので、ものすごく近いというわけではない。
「上がってー」
「おじゃまします……」
 先に入ったミクに続き、玄関に入る。そして、おそるおそる玄関で靴を脱ぐ。
「今冷たいお茶出すから座っててね」
「はい」
 案内された座布団に、そっと座る。
「あっ、足崩してていいよ!」
「は、はい!」
 言われた通りに足を崩しつつ、部屋を見回す。ミクの髪に似た色合いのカーテンと、それから、淡いピンクの布団が乗っているベッド。どちらも小さい花の柄で、かわいらしい。本棚には雑誌や小物が並べられている。むやみに色々見るのも失礼かもしれないが、少し年上の女の子の部屋、といった感じだ。
 ミクがグラスに入ったお茶を持ってきて、リンの前のテーブルに二つ並べる。そして、ミクも座布団に座った。二人は、とりあえず少しずつお茶を飲んだ。
「緊張しちゃう?」
「す、少しは……します」
 ミクに聞かれて、リンは少しうつむいて答える。そうだよね、とミクは微笑んだ。
「……あのね、私これでも事務所の先輩でしょ。だから、来いなんて言ったら命令と勘違いされないかと思って、なかなか誘えなかったんだけど……」
 ミクは、また恥ずかしそうな顔をする。ミクも妙に緊張して見えたのは、そういうことだったらしい。
「ほんとに、単純に、リンとはこうやってのんびりしたかっただけだからね」
「……はい」
 学校が同じわけではないし、今までは事務所の仕事と、欠黒象の対処のついでに一緒にごはんを食べるぐらいだったから、それ以外でゆっくり話すのは初めてだ。
「音ないと寂しいね。適当に曲流してもいいかな?」
「はい、もちろん」
 ミクは端末を操作して、音楽のプレイリストを探し、再生する。落ち着いた曲が流れ始めた。オルゴールと、優しいシンセサイザーの音が心地いい。
「今日はかなり歌ったもんね。こういう曲でしばらく心を休めるんだー」
「いいですね、穏やかで」
「でしょー、分かるー?」
「はい」
 ミクはお茶を一口飲むと、座布団を移動させ、ベッドのある方に寄りかかった。リンも手招きされて、同じようにベッドに背をあずけた。
「そうだ、〈れな〉入れてから経ったよね。どう?」
「タスク出たときはやってます。……まあ、レンがやる気なので付き合ってるだけな感じになっちゃってますけど……」
「あはは、レンくんは相変わらず?」
「むしろ、〈れな〉のタスクで余計火がついた感じです……」
「ほんとに練習好きなんだね」
 困っちゃいますよねぇ、という感じで笑う。日頃からレンの真面目さについてはミクにも話しているので、毎回笑われている。
「あ、あの。先輩に聞きたかったんですけど」
 リンは思い出した。〈れな〉のことを聞こうと思っていたのだ。
「ん?」
「先輩の〈れな〉って、どんな感じですか? デザインとか、機能とか……」
「ああー。〈れな〉の特徴的なところだもんね。私もリンの〈れな〉がどうなったか見てみたい」
 ミクは、〈れな〉を立ち上げ、画面を見せてくれた。

《こんにちは、にゃーん》

 ボールに耳が生えて目がついたような、ほぼ真ん丸なねこのキャラクターが、中央に表示されている。そして、そこから吹き出しが出ていて、メッセージが表示されている。
「かわいいですね」
「でしょ?」
 ミクが指でそのねこを撫でると、画面が切り替わった。
 白背景に、薄い青緑色を基調としたデザインだ。丸みを帯びた横長い四角のボタンが縦に4つ並んでいて、上から「タスク」「コラム」「設定」「あそぶ」と書いてある。その下で、さっきのねこが顔を覗かせていて「今日はどうするにゃー?」と吹き出しが出ている。
「一応、タスクからはボイストレーニングができるんだけど」
 タスクのボタンを押すと、画面が切り替わり、色々なボイストレーニングの一覧が表示された。上に3つほど「今日はこれをやってみる?」というタスクが出ていて、その下には別のタスクが並んでいる。タスクの右端には評価が表示されていて、SだったりAだったりするようだ。さすがである。
「今日は午前中よく頑張ったので! やりません!」
 ミクはきゅーっと目を閉じながら、戻るボタンを押し、続いてコラムのボタンを押した。
「これはね、例えばファッションの流行りとかの記事を、自動的に表示してくれるんだ」
「へえー、こんなのあるんですね」
「暇潰しに読んだりとかね。パフォーマンスとかはボイストレーニングに直接関係ないけど、仕事ではいることもあるし」
 歌いながらポーズを決めたりするのも、この辺りから知識を得ているということだ。
 また戻るボタンを押すと、画面の下ではねこが跳ねている。
「この「あそぶ」ってなんですか?」
「これねー、このねこと遊ぶモードなの!」
「ぼ、ボイストレーニングプログラムですよね」
 リンは困惑するが、ミクは笑った。
「あはは、癒しも必要って分析されたのかなぁ?」
 そう言いながら、あそぶボタンを押す。跳ねていたねこが嬉しそうな顔をして、画面が切り替わる。
 ねこが転がっているのを、ミクが指で撫でる。
「猫じゃらしで遊んだり、えさあげたりするの」
「かわいいですね」
「癒しだよ~。真ん丸だからよく跳ねるし」
 リンは、しばらくそのねこの動きをじっくり見つめていた。〈れな〉は本当に、使う人によって全然違うことがよく分かった。
「あ、ところでリンのは?」
 ねこに手を振るように画面を撫でてから、ミクが聞く。
「……あ、あの……見てもらったら分かると思うんですけど」
 リンは、おそるおそるミクに端末の画面を見せた。
「ん? かわいいデザインだね」
「デザインはいいんですけど……」
 朝に起動したときと同じで、「今日も一日頑張りましょう」のメッセージが表示されているだけだ。
「休みの日に、今日はこれをやってみましょう、ってタスクが一つ出てきたりするんですけど、それ以外の日はこんな感じでメッセージが表示されるだけなんです」
「うーん……様子見してるのかなぁ? まだ〈れな〉入れてからそんなに経ってないもんね」
「はい」
 初めのうちは、こんなものなのだろうか。でも、やっぱりリンは不思議だった。
「でも、この状態だとなんの操作もできなくって」
「確かに、ボタンも何も出てないんだね」
 ミクは首を傾げながらうなった。そして、何かを思いついた。
「レンくんの方の〈れな〉とは比べてみた?」
「はい。今日やってみようってタスクが出るのは一緒です。レンの方はすごい量のタスクが出てきますけど。多分毎日出てると思います」
「ああ、レンくんは普段からいっぱい練習してるんだったね」
 二人で笑いつつ、また考える。
「レンと一緒にタスクやったりしてたんですけど、レンの方からは同時練習の申請ができるみたいなんです。私、そんな機能知らなくて……」
「え、そんなのあるの?」
 ミクがびっくりして、リンもそれにびっくりした。
「同時練習って……私も聞いたことないよ?」
「そうなんですか?」
「……あ、私は普段一人でしかやらないし、使うことはなさそうだけどね。――レンくんは、リンと一緒に練習することもあるって分析されたから、その機能があるのかも」
 普段の練習の仕方に寄り添ったシステム構築、ということなのかもしれない。リンはいつもレンに教わることが多いから、レンの方にそういう機能がついたのだろう。
「うーん、でも、私の方から申請できてもよくないですか?」
「それは確かにね……」
「レンも、すっかり使いこなしちゃってて。なんの操作したら申請できるのか全然分かんなくて」
 なんとなく、置いていかれている気分だ。練習に対するやる気の違いが顕著に現れている、と言われれば、そうとしかいえないが。
 ちょっと不機嫌な顔になるリンに、ミクは慰めるような目を向けた。
「……ほら、多機能だと、全部覚えるのが大変でしょ? 〈れな〉が人によって違うシステム構築をするのって、その人に要る機能だけを絞って提供するためなんだって。だから、リンが色々余裕になってきたりとか、他の機能を望んだりするようになったら、そのうち増えるかもしれないよ」
「……そう、なんですね」
「リンは、普段レンくんと練習するだろうって〈れな〉が分かってるのかもね?」
「そんなことまで……!?」
 メッセージだけの画面を見つめてみても、特に変化が起きるわけではない。どういうつもりかはリンに分かるはずもないが、ミクの言う通りなら、うなずける。
「今は、参考にする程度に使えばいいと思うよ」
「そうします」
 返事をして、リンが少しぬるくなってしまったお茶を飲みきると、ミクは立ち上がってグラスを片付けにいった。ありがとうございます、とリンが頭を下げると、気にしないで、とミクはにっこりする。そして、リンの横に戻ってきた。
「……あ、思い出したんですけど」
「ん?」
「初めて〈れな〉入れた日にタスクが一つだったんですけど、そのときにレンが、欠黒象のことがあるから考慮して少なくなったのかも……って言ってました」
「ああー、なるほどね!」
 ミクはうんうんとうなずいた。
「私の〈れな〉もね、タスクはそんなに強制してこないの。やっぱり、欠黒象がいつ出てくるかなんて分かんないからかな?」
「そうなのかもしれませんね」
 それを思い出してから、続けて午前中のことを思い出す。
「それにしても、今日はほんとにすごかったよねぇ……」
「ですよね……」
 二人とも、天井を見上げ、思わずため息をこぼす。ミクの端末から鳴っている音楽に、しばらく耳を傾ける。穏やかなメロディーが鳴り続けている。
「ちょっと前から気になってたんだけどね」
 ミクが言って、リンはミクの方へ顔を向ける。ミクは、天井に目線を向けたまま、言葉を続ける。
「欠黒象って、どうして出てくるのかなって思ってて……自然に発生してるのか、誰かが発生させてるのか」
「え、……自然に、だと思ってました」
 リンは、誰かが、という考え方をしたことがなかった。
「ヒーローやヒロインものの話だったら、黒幕と戦うってよくあるでしょ? 自分たちが当事者だから考えてる暇もなかったんだけど、実は黒幕がいるってこともあるんじゃないかなって」
「確かに、そういう話ならありそうですけど。でも、欠黒象って襲ってくる感じじゃないから、違うと思ってました」
 例えば、リンが読んでいる漫画でも、主人公が世界平和のために戦っているタイプの話がある。それは、敵組織が差し向けてきたものを主人公が倒していくわけだが、そういうものは大抵攻撃的なのだ。それに対して、欠黒象は意思があるわけではなさそうだ。リンたちが駆けつけたときに、様子が変わるということもない。
「実際、分からないけどね。でも、もし黒幕がいたとしたら、私たちみたいな人のことは、当然邪魔なんじゃない?」
「……そうですよね、……だとしたら怖いです」
 言われて想像すると、怖い。今は、ただ欠黒象が出たら歌う、それを繰り返しているだけだからいい。でも、もしそんな黒幕が出てきたりしたら、どうにかできるのだろうか。
「ほんとにただの想像だけどね。欠黒象が歌で消せるんだから、もし黒幕がいたら、黒幕からしたら歌が敵ってことになるでしょ」
「歌が……」
 いつも好きで歌を歌っているから、歌が敵なんて考えは、全く分からない。……そもそも、欠黒象を発生させようという狙いも分からないから、分からないことしかないけれど。リンは考え込んでしまった。
「あ、でも、たまたま歌が効くだけなのかもしれないよね!」
 暗い顔をするリンに、ミクは明るく言った。それはそうかも、と思い、リンは顔を緩めた。
「歌が効くって分かってるだけでもましだよね」
「そうですね」
「またいっぱい出てくるかもしれないけど、お互い頑張ろうね」
「はい、これからもよろしくお願いします」
 二人は改めて、修復者として頑張っていく決意をした。