世界の修復者と私のボイストレーナー (8)レンの歌のこと - 1/3

 午前と昼ごはんの間、欠黒象の通知は来なかったが、今日中はいつ通知が来てもいいように待機しておきたい。ということで、リンは午後もレッスン室にいることにした。レンはもちろん元からレッスン室に行く予定だったので、午後も一緒だ。
「ミク先輩が仕事でいないから、欠黒象が出てきたときは頑張るって言っちゃったから、昼寝とかしないようにってことだからね。私は別に一日中練習したいわけじゃないからね」
 食堂からレッスン室に戻る間、リンは必死でレンに説明した。レッスン室に行けば、またずっと練習を一緒にやる流れになりそうだからだ。
「欠黒象出なかったら暇ってことだろ。暇なら練習してもいいんじゃないの?」
「それはそうだけど! あーもう……」
「通知来たらちゃんと中断するから」
「当たり前でしょ……」
 言い合いながら、レッスン室に入る。リンはすぐに椅子に座った。
「なんだよ」
 リンは腕を組み、動かない意思表示をしている。レンはそんなリンを睨む。
「俺は練習やるんだけど。……いいんだよな」
「私のことは気にしないで。置物だと思って」
「そんな動く置物……」
 リンは置物の気持ちになったのか、それ以上口を開かない。レンはちらちらとリンを見ながらも、端末を操作して、練習を始めた。
 さっき昼ごはんを済ませたところで、その前までは一緒に練習をしていたのだ。こんなに休む暇もなく練習できるなんて、どうかしている……、いや、「三度の飯より」で言い表せば「練習が好き」というやつだろう。リンはただ、歌い続けるレンをぼんやりと眺めていた。
 それにしても、うまい。双子で、同じような暮らしをしてきたはずで、今も同じアパートの部屋で暮らしているのに、レンはひたすら歌がうまい。
 ふと、リンは思った。これだけ目の前で練習を見ている割に、レンがソロで歌を歌うのを、見ていない気がしてきた。……今まで見たことがないというわけではなく、最近、見ていないのだと思う。
 一緒に歌うことは多い。だから、いつも聞いているはずだけれど、自分が歌っているときは、自分が歌うことに集中しているから、レンの歌を聞くことだけに集中したことが、あまりない気がする。
 タスクを繰り返すレンに、リンは声をかけた。
「ねえ、レン」
「何? 一緒にやる気になった?」
 レンはリンの方を見て笑う。
「違う」
「違うのかよ」
 否定すると、白けた目をする。
「あのさ、レン……タスクじゃなくて、普通に歌わないの?」
「え……」
 レンは困惑したような表情をした。
「なんか、最近レンの声聞くとき、いつもその練習のやつばっかりだからさ、普通に歌わないのかなって」
「……仕事のときは歌うよ」
「それは当たり前でしょ……。昼前に一緒に歌ったでしょ? ああいう歌う感じのは、一人ではやらないの?」
「……やるけど」
「それ、今やらないの?」
「今は……」
 なんだか、自信がなさそうな顔をして、レンは目線を反らしている。
「――気分じゃないだけだよ」
「えーっ、最近レンがソロで歌ってるの聞いてない気がして。聞きたいなー」
 リンは歌うのをねだってみる。
「……なんの歌、歌えばいいんだ」
 照れているのか嫌そうなのか、レンは微妙な表情をする。リンはお構いなしに笑う。
「なんでもいいよ。仕事のやつでもなんでも。……あ。レンのソロ曲のインスト音源あるから流すね。歌ってー!」
「え、急にそんな……!」
 リンは自分の端末のプレイリストからレンの曲を探し、再生した。無理やりだったが、曲が流れ始めると、勝手に体が動いてしまうのか、レンは息を吸って身構えた。
 歌い始めたレンを、リンはひたすら見つめていた。歌い始めれば、レンの顔は真剣なものになり、練習とはまた違う歌声になった。その歌声に、リンは聞き惚れていた。ぶれない声の中にこめられる力強さ、はっとするような緊張感、伸ばしたときの透き通った声……聞き慣れていても、いい歌声だ。
 曲が終わり、リンは拍手する。レンは、リンに背を向けた状態で椅子に座った。
「ありがとー!」
「……やっぱり恥ずかしい……」
 さっきまで堂々と歌っていたのに、何かぶつぶつ言っている。
「な、なんで急に歌わせるんだよ」
「そんなこと言って。ちゃんと歌ってくれたじゃん!」
「……うう」
 リンは、レンが歌ってくれて大満足だ。レンは、そっと椅子の向きを変えながら、リンの方を向いた。
「あのね、ちょっとレンの歌が聞きたくなったから歌ってほしかったの。やっぱり、うまいよね」
「……恥ずかしいこと軽々言うよな……」
 体の向きこそ直したものの、レンはうつむいてリンから顔を背けている。
「なんていうのかな、やっぱり歌を仕事にしてるだけある! っていうか!」
「それはリンだってそうだろ……仕事のときだって、欠黒象の前だって、ちゃんと歌ってるだろ?」
「それなりにはね。……でも、思うんだよね」
 リンは、少しため息をついた。レンが、そっとリンの方を見る。
「レン、こんなに歌がうまいのに、ほんとに欠黒象消せないんだっけ」
「……」
「ちょっと不安なんだよね。最近よく出てくるし、ミク先輩と私だけじゃ限界にならないかなって」
 レンは、返す言葉が思いつかないらしく、しばらく黙っていた。しかし、リンも何も言わないので、口を開いた。
「……俺は、声質がだめみたいなんだ。俺の歌はあれには効かないよ」
「こんなにうまくても?」
「……うまくても。――やっぱり、リンの歌声には特別な力があるんだと思うよ。俺にはない力が」
「そうなのかな」
「そうだよ」
 いまいちぴんとこないリンに、レンは強く言う。
「リンの声は力強くて張りがあって、でも、かわいらしさもあって。その声で映える歌がたくさんある……うまく、言えないけど、特別なんだよ、リンの歌は――」
「レンの歌は?」
 レンの言葉を、リンが遮る。
「レンの歌だって特別だと思うよ」
「……なんの変哲もない歌声だよ」
 レンが、笑う。卑下するその顔をぐっと見つめてから、リンは首を横に振った。
「私は! レンの歌好きだからね!」
 リンにとっては、特別だ。好きだから、だ。
 レンは、リンの勢いに押されて、しばらくびっくりした顔でリンを見ていた。そして、うつむいた。その顔は火照っている。
「ほんと、リンってすぐ恥ずかしいことばっかり言うから……」
「思ったこと言っただけだよ!」
「はいはい……」
 リンはにっこりして、照れているレンを見つめる。レンは、息を深く吸って吐いて、それから笑った。その笑みは優しい。
「……俺の歌は、たまたま欠黒象には効かないだけだから。俺は俺で、自分の歌を極めるだけだ。それはリンも同じだろ?」
「……そうだね、私も自分の歌を頑張らないと」
 二人で確認しあって、お互い明るい表情になったところで、レンはうなずいた。
「つまり、リンはそろそろ練習した方がいいんじゃないのか?」
「うっ……!」
「人に無理やり歌わせておいて、いつまで置物やってるつもりだ」
「ううー!」
 リンは反抗してみたものの、レンに無理やり立たされる。二人は練習を再開した。