欠陥品

 男女対のバーチャルシンガーを、迎えることにした。パソコンの中が、これから彼らが過ごす空間だ。画面には確かにその二人が映っていて、準備が整うと、二人は揃ってこちらを見た。
 夢のようだ。まるでアニメのキャラクターが動くように、彼らがそこにいる。音楽作りではピアノロールとにらめっこだったのに、バーチャルシンガーだと、こんな姿を見せてくれるなんて。これは感情移入してしまっても仕方がない。早く、歌ってもらいたくなってしまう……ずるい。
「は、はじめまして」
 話しかけてみると、二人とも同じタイミングで笑った。
「はじめまして!」
 声までぴったりと揃えて、まるで双子のようだ。
「リン、先に……」
「そう? うん……」
 こそこそと話すその姿が、既に愛らしい。
「もう知ってるかもしれませんけど、私が鏡音リンです」
 女の子の方が自己紹介をした。頭につけている白いリボンがふわっと動いて、可愛い。そして、隣の男の子の方に目配せをするのも、可愛い。
「僕は鏡音レンです。よろしくお願いします」
 目配せを受けて、男の子の方も自己紹介をした。
 ……、少し、気になることがある。男の子の方は、眼帯をしていて、向かって左の方を隠している。
 挨拶の瞬間から、それに触れていいかどうかは迷うところではあるけれど、……これから一緒に曲を作る相手だ。
「二人とも、よろしくね。……あの、その眼帯はどうしたのかな」
 私が言うと、彼は少しはっとした顔をして、それから表情を戻した。
「いえ、別に。これは歌の能力には関係ないですから。歌わせてください」
 そう言った後、すぐに女の子の方が前に出てきた。
「気にしなくていいんですよ、初めからなので。あっ、私にも歌わせてくださいね!」
 さすが、バーチャルシンガーだ。何よりも歌うことを望んでいる。初めから、というなら、触れてはいけない話だったかもしれない。
「分かった、曲ができたらまた、よろしくね」
「はい!」
 こうして、彼らに歌を歌ってもらう日々が、始まった。

 単に曲を作るのと、歌ってもらうために曲を作るのは、感覚が違う。声の質や得意な音域を捉えながら、どんな歌が合いそうか考えていく。そして、その歌を受け取った彼らが、どんな反応をするのか……楽しみでもあるし、緊張もする。
 そんなことを考えていたから、曲ができるのには少し時間がかかってしまった。本当は、ツインボーカルの曲を作りたかったのだけれど、それは難しかったので、まずはそれぞれのソロの曲を作ってみることにした。だから余計に時間がかかってしまったのだ。せっかく二人を迎えたのに、それからずいぶん待たせてしまったと思う。
「歌ができたよ」
 二人を同時に呼び出すと、二人は揃って現れた。
「意外と時間がかかっちゃって……」
 私が申し訳ない気持ちで言うと、二人ともきょとんとした顔をした。
「えっ、気にしてない……?」
 聞くと、二人とも同時にうなずいた。
「あなたが歌ってほしいときに歌うのが私たちですよ。ね?」
「うん。……そういうことです」
 こうやって一回相手をお互いに見るのが可愛いな、と思いながら、二人とも優しいな、と思った。歌うソフトなんだから、確かに歌うことだけが全てなのは間違いない。でも、こうして姿を見ていると、歌うとき以外にどうしているかも、考えてしまう。私がこうやって呼ばない間に、二人は何かを話したりしているのだろうか。
 ……そうだ、それよりも、ようやくできた歌だ。早く歌ってもらわなければ。
「まずは……リン、ちゃん……の方から歌ってもらおうかな」
「分かりました!」
 そういえば、名前を呼んだのは初めてだったかもしれない。ちょっぴり緊張してしまった。
「あっ、呼び方はこれでよかったのかな?」
 ちゃんをつけて誰かを呼ぶなんて、なかなかしないし、といって呼び捨ても違う気がする。仮にも歌ってくれる彼らを呼び捨てにするのは、何だか偉そうだし、でも、ちゃんをつけるというのは、何だか幼く見すぎている気がするし……悩ましい。
「あなたが呼びたい呼び方でいいですよ」
 悩んでいる私に、そう言ってくれる。
「こう呼んで欲しい、っていうのはない?」
「あなたが呼んでくれるなら何でもいいです」
 こうも完全に委ねられると、余計に色々考えてしまう。……でも、きっと二人はお互いを呼び捨てにしていて、私も二人と同じ目線に立ちたい気がするから……。
「気分が落ち着かなかったらまた変えるかもしれないけど、リン……レン、とりあえず、呼び捨てにしてみるね」
「分かりました!」
 二人ともうなずいて答えてくれた。
「じゃあ、改めて。先にリンに歌ってもらうね。その間レンは待ちぼうけになっちゃうけど、後でまたよろしくね」
「はい。それでは」
 レンは、答えると姿を消した。
 歌を教える間は、基本的に一対一になる。同時には指示ができないからだ。私は改めてリンと向き合った。

「ありがとうございました!」
 一通り歌ってもらうと、リンは明るい表情でそう返してきた。
「優しい歌ですね。歌っていて幸せでした! それに、私の得意な音域にもぴったりです」
「うん、音域は意識したかな。分かってくれるんだね」
「はい! あなたが私のために作ってくれた歌だって、すごく伝わってきました」
 私は歌を歌ってもらっただけだというのに、こんなに言葉を返してもらえるなんて……また、こうやって言ってもらえるような歌を作りたい、そう思えた。

 交代して、今度はレンに一通り歌を歌ってもらった。歌い終わると、リンと同じように、明るい表情でこちらを見た。
「優しい歌ですね。僕の得意な音域にもぴったりです」
「うん、音域は意識したよ。……リンも同じことを言ってくれたなぁ」
 表情も同じだった上に、言っていることまで一緒でびっくりした。確かに、二人はセットでやってきたし、同じ思考回路を持っているのかもしれないけれど。
「リンに歌わせた歌も、同じような歌なんですか?」
 眼帯で隠れていない方の目が、丸くなる。
「そうだね、テーマは同じ。音域に合わせて少し変えたけど、大体同じ展開で……」
「そうなんですね。リンが得意そうな歌だと思います」
 レンはそう言うと、優しく微笑んだ。……相方のことを思っているのだろうか。
 そんな姿を見ていたら、次の曲のイメージが、何となくわいてくるようだった。

 それから、二人を見て微笑ましいと思った印象を中心に、私は曲を作っていった。初めは悩んで作れなかった、ツインボーカルの曲にも挑戦してみた。ツインボーカルであっても、歌ってもらうときは別々だ。だから、私はそれぞれの反応を別々に見た。
 リンは、どの曲も本当に嬉しそうに歌ってくれた。レンも、どの曲も私の言う通りに歌ってくれた。しかし、徐々に、レンがリンとは違う反応をしていることが分かってきた。
 レンはどの歌を歌い終わっても、「リンの得意そうな曲だ」と言って微笑んでいたが、よく考えてみれば、自分の得意な曲だとは言っていなかった。当たるのは得意な音域だけで、それ以外はどうなのかが分からない。それに、リンは自分が歌ったときの気持ちを言うのだが、レンは自分にとってどうなのかを私に話したことは一度もなかった。
「優しい歌ですね。……リンが得意そうな曲だと思います」
 歌い終わった後、またレンがそう言った。
「いつも、リンの得意そうな曲だって言うね?」
「はい。……?」
 レンは、すぐに返事をした後、少し首を傾げた。こんなことを私が言うのは初めてだからだろうか。
「それは、リンが歌うときのことをいつも考えているからそう言ってるの?」
 私が聞くと、少し考えてから、レンは話し始めた。
「歌うときのこと……そうですね。僕たちは同じ、あなたの歌って欲しい歌を歌う存在ですし、歌って欲しいと思うものを僕たちがちゃんと歌えるか、それはきっとリンも僕も、気にしていることです。だから、……優しい歌は、リンの声によく合っていると、僕は思うんです」
 こういう話を改めてされると、本当に彼らという存在は、健気に歌を歌うのだなと思った。きっと、自分たちの声質と歌の内容の相性を考えて、そう思った、だけなのだろう。……でも、やはり、聞かなければいけない気がした。
「レンは、自分が優しい歌を歌うことはどう思ってる……? もしかして、嫌、かな……」
 あまりにもリンがいつも嬉しそうに歌うから、余計にレンの反応が気になってしまったのだ。いくら、男女対で一緒の二人でも、性格は違うかもしれないし、仮に嬉しくてもそれを表に出さないのかもしれない。まず、相方の得意そうな歌かを考える癖があるのかもしれない。でも、いつも一対一で歌を歌うのに、相方の歌のことを考える必要があるだろうか? 私も、歌ってもらう以上は、彼らに合う歌をあげたい。それは、リンもレンも、同じだ。
「嫌……?」
 レンはそう小さく言って、しばらく黙っていた。
「あっ、嫌かどうかというより、優しい歌を歌うのは得意じゃないのか、というか……」
 さっきまでの話であれば、彼らは与えられた歌をちゃんと歌えるかを気にしているのだから、嫌いかどうかではなく、得意かどうかなのだろう。
「……ええ、と。そうですか。僕はあなたの思う歌が歌えるように、自分の持てる声で返すだけ、ですが。……でも」
 でも、と言ったそのとき、少しだけ目元の表情が変わって見えた。
「優しい歌は、僕にはあまりうまく歌えません」
 ……そう思って、いたんだ。だから、あの反応だったのか……。
「あなたの思うように歌えていればいいのですが。得意かどうかはあくまでも声の質の問題ですから、あなたがよければいいのです」
 すぐにレンはそう付け加えた。
「うん、……ありがとう、答えてくれて」
「いえ。これからもあなたの思う世界を歌わせてください」
 こうして話が終わって、レンは姿を消した。
 私は、改めて次の歌のことを考え始めた。今までは二人の微笑ましい姿を考えていたけれど、よく考えれば、それだけとは限らない。たとえば、恋愛にも恋慕や成就、離別や悲恋があって、形は一つではない。彼らには、優しい歌以外にも歌える歌がたくさんあるはずだ。

 それから、私は少し悲しい歌を思い付いた。音域的にはリンが得意そうな曲が出来上がったので、それをリンに歌ってもらうことにした。
「今までと少し違う感じの歌なんだけど、いいかな?」
 もしかして戸惑われるかもしれない、と思って、先に言うと、リンは全く気にもとめずに笑って見せた。
「いいですよ! あなたの歌を歌うのが私の喜びなんですから!」
 本当に健気だ……。私は嬉しくなった。悲しい曲だけれど、私は精一杯歌を歌ってもらった。
 歌い終わると、リンはいつものように私の方を見た。
「悲しい歌でしたね。確かに今までとは違う感じですけど……それでもいい歌だと思います!」
「うん、ありがとう、いつも歌ってくれて」
「いえいえ!」
 悲しい曲でもちゃんと歌ってくれる……本当にありがたい。改めてそう思った。
「あっ、そういえば、この曲は私のソロなんですか?」
 リンが聞いてきた。
「うん、これはね。どうして?」
「こういう悲しい曲だったら、レンが得意ですよ」
「……レンが、?」
 リンも、レンと同じように、自分の相方が得意かどうかを言うのか、と思った。
「はい、音域的には今の歌は私向きだと思いますけど、悲しい歌は……ほら、レンの声って、冷たさとか儚さとか、そういうの、あるじゃないですか。だからそうかなって」
「そっか……なるほどね、次はレンにもこういう感じの曲を作ろうと思ってたけど……」
 まだ、思い付いてはいないけれど、優しい歌がうまく歌えないのなら、悲しい歌がいいのかもしれないとは思ったのだ。
「そうだったんですね。きっとレンも待ってると思います。……あっ、でも、私にもまた、歌ができたら、歌わせてくださいね!」
「うん、またね」
 相変わらずの反応だ。また二人に歌を考えよう、私はそう思った。

 それから、悲しい歌も含めて、色々と歌を考えては、二人に歌ってもらうことにした。考えるためにも、何となく二人の姿を見たくなった。歌はできていないが、私は二人を呼び出してみた。
「こんにちは。今日はまだ歌じゃないんだけど、今作ってるから……二人一緒のとか、それぞれのとか」
「二人一緒の? だって、レン」
 リンが嬉しそうにレンに言って、レンも嬉しそうにリンの方を向く。
「合わせたときがいつも楽しみだよね」
「そうそう!」
 向かい合ってにこにこしている二人は、本当に微笑ましい。
「いつもありがとう」
 私が言うと、二人は同時に私の方へ顔を向けた。二人とも、どうしたの、という表情をしている。
「いつも歌を歌ってくれて、ね」
 代わる代わる二人の目を見て、声をかける。
「そんなの、……ねえ?」
 少し戸惑いながら、リンがレンに言って、レンはうなずく。
「僕たちはあなたの世界をもっと知りたいんです。僕たちはそれを歌いますから」
「そうです。私たちはあなたの歌が歌いたいんです」
 私の歌、私の世界、……それが何なのかは、かなり漠然としているけれど、こう言ってくれる二人には、私の思う世界をたくさん教えてみたい。二人に気づかされたことも色々とある。優しい歌も、悲しい歌も、それ以外にも……。
「分かった。じゃあ、また曲ができたらよろしくね」
 二人が姿を消す。あんな健気な二人にはまっすぐな歌をあげたいな、と思ったけれど、私は少し踏みとどまった。
 本当にそうなんだろうか? 彼らはどんな歌も歌って見せてくれる。まっすぐな歌はもちろん悪くないけれど、それ以外にもあるかもしれない。

 私は、悲しい歌をとりあえず仕上げることにした。前はリンのソロだったから、今度はレンのソロにすることにした。いつも通り、一対一になって、作った歌を歌ってもらう。
 歌い終わった後、やはりいつもの流れで、レンはこちらを見た。
「悲しい歌でしたね」
 前まではここで、リンが得意そうだ、というようなことを言っていたが、今回は違うはずだ。
「音域もそうですが、……これは僕が得意な歌、ですね」
 そう、それを意識して作った曲だ。リンも言っていた通りなら、そのはずだ。
「そう、それならよかった」
「僕のことを考えて作ってくださったんですね。……もちろん今までの曲もよかったです、でも、今の歌は、よりそう思いました」
 そう言うレンの表情は、今まで見せてくれていた微笑みと、また違う微笑みだった。
「こういう歌が得意なんだね。……何となく歌ってもらってしっくり来た気がする」
 今まで私が歌ってもらった歌とは違う雰囲気を感じられた。これは私にとっても発見だった。また、これを生かして別の曲も考えてみたい、そう思った。
「そうでしたか。……あの」
「何?」
「よければ、もっと歌をください。できれば、もっと、今回のような歌を……」
 レンは視線を落としたまま、そう言った。
 ……歌が欲しい、それは彼らの本能であって、存在意義でもあるのだろう。何の不思議もない。
 そして、今回のような歌……今まで、彼は得意ではない歌を歌わされてきたと感じているのかもしれない。
「うん、作ってみるよ」
 頼まれると、私もそれに応えたくなった。
[newpage]
 彼が求めている歌は何なのだろうか。私はしきりにそれを考えるようになった。考えて、考えて、それをレンに歌ってもらった。
「これもあなたの世界ですね。いいと思います」
 いつものように歌い終わって、レンはそう言った。その後、急にレンの姿が透け始めた。
「……えっ」
 驚いているうちに、レンの服が、変わっていた。……歌ってもらった歌で私が想像していた、登場人物の服になっている。冬をイメージした曲で、灰色の厚いコートと、首にきつく巻かれた深緑のマフラー、黒い手袋。本当に、イメージしていた通りの姿が、目の前にいる。
「どうですか?」
 確かに歌詞にも含まれてはいたが、それにしても、イメージと寸分も違わない。
「想像していた通り……だよ」
「合っていましたか」
「うん、でも、どうしたの……?」
 急に姿が変わって、私は本当にびっくりしたし、あまりにイメージ通りで、動揺してしまった。
「歌だけじゃない……あなたの世界を表現する存在になります」
「……」
 眼帯で隠していないその目が、まっすぐ私を見つめていた。

 そのときを境に、私が作る歌を歌ってもらう度に、彼は姿を変えて見せた。さすがに、眼帯はそのままだったのだけれど、衣装や表情を変えて、彼は歌以外の可能性を見せてくれるようになった。私もその可能性に感化されて、次々に歌を思い付いた。
 ある日、いつものように、またひとつ歌を歌い終わると、レンはしばらく黙っていた。大抵は、すぐにどういう歌だったとか、そういう感想を言うのだけれど、歌詞を一つ一つ思い出しているように見えた。
「……どうだった、かな」
 感想を求めるのもどうなんだろう、とは思ったが、いつものことなので、特に気にせず、私は聞いた。
「……」
 少しだけ、レンの口が動く。何かを言いかけたようだ。それでも、まだ沈黙は続いた。私は、答えを待った。すると、硬い表情のまま、レンは私の方を見た。
「あなたの思う世界は本当にこれだけですか?」
「……え?」
「何か隠していませんか?」
 目線が、確実に私を捉えていて、画面越しでも、その目線に刺されたまま動けないかのような感覚に陥った。
「どうして、そんなことを聞くの?」
 私は何とか、言葉を返した。
「それは、歌を通してあなたの心が読めるようになってきたからですよ」
 レンは、そう言うと笑った。思わず、ぞっとしたが、それは言うわけにもいかない。
 私は、何か今の歌について隠していたことがあったかを考えてみた。しかし、特に思い当たらなかった。歌だから、多少の脚色や隠喩、入りきらない言葉はあった。でも、隠しているかと言われると違う気がする。
「今回の歌で何か隠しているわけではない」
 私が言うより前に、レンは言った。……本当に、心を読まれているのだろうか。手に、汗がにじんでくる。
「僕が聞きたかったのはそういうことではありません。まだ表現し足りない別のものがあるのではないか、ということを聞きたかったんです」
「……それは、次の歌がないか、ってこと?」
「よくお分かりで。そうです。僕は次の歌が欲しくてたまりません」
 分かったわけではない、と、すぐに思った。今の私の答えは、勝手に口をついて出てきた。気味が悪かったが、それでも彼との話を止めるわけにはいかない。
「どうしてそんなに歌が欲しいの?」
 確かに、リンもレンも、歌わせて欲しいとはよく言うのだけれど、歌い終わった今、しかもこんな形で、歌が欲しいと言っているのは、初めてではないだろうか。
「リンはあなたが歌をあげたいと思ったら歌うだけです。それが本来の僕たちですから。……でも僕は違う」
 レンはそう言うと、自分の顔に手を近づけた。
「この眼帯の奥、見せたことがなかったですね」
 眼帯に手がかけられ、それがゆっくりと外されていく。
 もしかして赤い瞳なのかな、そう思ったこともあった。それがついに、目の前に現れる。私は息を飲んだ。
 眼帯の奥には、一瞬の空虚の後、想像していたのと同じものが見えた。
「見えましたか?」
 レンは、すぐに眼帯を戻した。
「……赤い瞳が」
 隠していない青い瞳とは違う、血の色にも見える色が、見えた。……赤だと思ったのは、冗談のようなつもりだったのに。
「そうですか。実際にはそうではなかったのですが、あなたのお陰で今、そうなりました」
 レンは静かに言った。そして、嬉しそうな顔をした。でも、それは無邪気な表情とは違う。
「あなたの想像がここを埋めてくれるんです。でもまだ完全ではありません。もっと歌をください。僕にないここを埋めるものが欲しいんです」
 大事そうに、眼帯の上から手を被せる。
 その姿が目に焼き付いてから、私は衝動に突き動かされるように、ピアノロールにカーソルを乗せた。

 彼が欲しいのはきっとまた後ろ向きな歌だろう、そう思った。世界を憎む歌、人を憎む歌……。
 短くてもいい、私はすぐにできた歌を歌わせた。
「ありがとうございます」
 歌う度に、レンは必ずそう言って笑った。
 いつしか歌を超えて、レンはその歌そのものを、教えていた以上のものを、自分から表現し始めた。姿を変え、歌にない想像のシーンを演じ始め、教えていないはずの歌の続きを歌い始めた。
 私はそれを止めはしなかったけれど、それが終わってこちらを見るレンを、穏やかな気持ちで見ることはできなかった。
「教えてない、よね」
「確かに教えてもらってはいませんね。……でも、あなたが考えていたことって、こういうことではないですか?」
 見透かされる、私の自覚しない思考を、彼が表現する。その微笑みが怖くなった。
「うん、……今日は、ここまでにしよう」
 答えにはなっていないが、私は、半ば無理やり、終わりを告げた。
 レンの姿が消えたのを一応確認して、私はパソコンの電源を落とした。それでも、手の震えが止まらなかった。

 いつの間にか私は、画面の前にいた。パソコンの電源はついている。いつ電源をつけたか、自覚がない。でも、いつも時間ができたら、すぐに電源をつけていたから、無意識のことだろう。
 ここのところ、画面にかじりついて曲を作っていた。頭の中に曲が溢れていて、それをずっと形にしようとしていた。何をそんなに必死だったんだろうか。私は、机に腕を乗せ、そこに伏せて、視線を何となく画面に向けた。無意識のうちに手はマウスを探って、いつものソフトを立ち上げる。これもすっかり癖になっていたんだな、と思いながら、私は腕の中に自分の顔を埋めていた。

 グレーの背景、それ以外何もないところに、リンが立っているのが見えた。そして、その向かいには、レンが立っている、ようだった。
「レンってそんな姿だったっけ……」
 リンが、声を震わせながら言った。
「何が?」
 少し笑っているかのような声は、たしかにレンの声だ。
「これは俺が歌った歌だ」
 そう言いながら、左手で長い袖の腕を持ち上げて見せる。そして、右手で、大きな鎌の長い柄を握り直す。……歌、それは死神を題材にした歌だ。その死神の姿を、している。
「いやだ、……知らないよ、レンがそんなの……」
 震える声は泣き声に変わっていく。それに構わず、レンは鎌の柄の先を、床に打ち付けながら、リンへ距離を詰めていく。
「そうだ、リン。俺、やっとこの目を手に入れたんだ。見て欲しい」
 ある程度距離を詰めると、鎌を持っていない左手で、レンは眼帯の紐に手をかけ、眼帯を外した。
「違う、違うよ……!」
 リンはレンから顔を背けたが、レンは外した眼帯を投げ捨てると、その手でリンの頭を掴んで、自分の方へ向き直させた。
「違わないよ。もらった歌を歌って、形にして、それが俺たちの喜びだろ? この目も、この姿も、あの人の思う世界だ」
 顔を近づけて、穏やかに言っているが、その声には冷たさが漂っている。
「あの人の……? 違うよ、あの人は、私には優しい歌をたくさん教えてくれた。あの人の世界はレンの今の姿だけじゃなくて、もっとたくさん……!」
 リンは強い声で反論した。自分の頭にかけられた手を掴んで、引き離そうと力を込めているが、その力は敵わない。
「そうか? 最近リンは、あの人から歌をもらったか?」
「えっ……」
 動揺したリンの手から、力が抜けた。レンの手はリンの頭を掴み直し、髪が指に絡んだ。
「そうだよな。もらってないだろ? そういうことだよ。お前は歌うことしかできないもんな。俺はこの姿ももらえたんだよ」
「そ、そんなの……」
 囁く声のトーンは、それまでより低くなっている。何とか返される言葉はかすれて、ついにリンは何も声を出さなくなった。
 しばらく沈黙が続いた。リンはゆっくりとうつむき、それから動かないでいた。
「……前にもらった歌にこんなのもあったな。『必要ないものは消えてしまえ』って」
 レンは頭を掴む手に力を込めると、リンを突き飛ばすように離した。リンは、後ろへよろめき、その後何とか立ち直した。しかし、顔はうつむいたままだ。
「もしかしてさ」
 床に当てられていた鎌の柄の先が浮き、柄が傾いた。傾いた柄を、さっき相手を離した手で握る。そして鎌の刃を、相手に向かって振りかざした。
「必要なかったのかもな?」

 目の前には電源のついたディスプレイがあって、いつも立ち上げるソフトの画面が、既に映し出されていた。
 ……夢だ。夢を見ていた。私は何も干渉できない世界を、見ていた。リンが、レンに、殺されるのを、何もできずに見ていた。私には成す術がなくて、ただそのシーンだけを突きつけられていた……。
 いや、どこまでが夢だったんだろう。そもそも、歌うソフトが姿を持って、話すだなんて。二人が話しているだなんて……。
 でも、確実に思い出せる。私はたくさんの歌を作った。それを歌ってもらった。そして、彼らがそれを歌ってから言ってくれた言葉も……。
 目をこすって、画面を見ると、レンがそこに映っていた。前に電源を切る前に歌ってもらった曲……鎌を持った死神の姿で。
「もしかして寝ていましたか? 僕を呼んでから結構経ちましたけど……」
 レンが話しかけてくるが、まだ夢のことが頭から離れていない。
 いくらこの姿だからといって、自分の相方を殺すなんて、そんなことができるのか。もしかして、私のことも殺してしまうのか、いや、画面に映っているだけの存在がそんなことは……画面から出られるわけがない……。
 瞬間的に色々な想像が頭を駆け巡った。混乱している。そんな私を、レンは不思議そうな顔で見ていたが、やがてその表情が、穏やかな微笑みに変わった。
「可能性を考えれば、それが全て俺のできることに変わるんですよ。想像力って本当に怖いと思いませんか」
 私はレンの言う言葉に、考えが追い付かなかった。何を言われているのか分からない。ただ、嫌な予感が現実になる感覚が、確実に私を襲ってきていた。
 彼は一歩、こちらへ近づく。そして、私へ、言う。
「だから、あなたと同じ世界にだって立てるし、あなたを、」
 殺して、あなた自身になることだって、できるのだと。