「あ」
自分の部屋で楽譜を整理していて、リンは声を上げた。レンから借りたシャーペンが、楽譜に挟まったままだった。
とりあえず、シャーペンは机の上に一旦置いて、リンは整理していた楽譜を見返した。
レンと一緒に練習をするとき、レンから楽譜を渡されることがある。それで、レンが伴奏を弾いて、二人で歌う。〈れな〉でやるボイストレーニングのタスクとは違って、歌を歌うので、リンは好きな練習だ。……レンはいつも、「リンが苦手そうな要素が入っている曲を探してきた」と言っては、厳しく歌い方の指導をしてくるので、すごく好きだとも言えないのだが……。
リンは、この楽譜について、前から不思議に思っていた。大抵、知らない曲の楽譜なのは、知らない方が練習に向いているからなのかもしれない、とは思っている。しかし、歌詞で検索しても、それらしい曲が見つからない。レンは、一体どうやって、この楽譜を探してきているのだろうか。ボイストレーニングプログラムなのであれば、それぐらいたやすいのかもしれないし、練習用の曲を独自に色々知っているのかもしれないが。
そんなことを不思議に思いながら、リンは楽譜を揃え、ファイルに入れた。そして、置いていたシャーペンを手に取った。レンに返しにいかなければ。
……そういえば、と、リンは思った。レンの部屋に入ったことがない。もし今から行くなら、初めてだ。
レンの部屋の中は、どうなっているのだろう。欠黒象を作らなくなった今、部屋に入ってほしくない理由はレンにはなくなった……はずなのだが……いいのだろうか。
いや、これからはもっと双子らしく過ごそうと二人で話したのだから、リンがレンの部屋に入るのが許されないはずがない。むしろ、今までリンだけ部屋に入られていたわけだし。別にそれが嫌なわけではないが、逆をしてはいけない理由なんてないはずだ。
リンは、シャーペンを持って、自分の部屋を出た。
レンの部屋の前に立って、リンは一度深呼吸をした。
ドアをノックしてみる。返事はない。
今日は普段通り練習をしたし、一緒に帰ってきたのだから、いるはずなのだが。……まさか、急に体調を崩したとか、ないだろうか。そんなことが気になってしまい、リンは焦った。
リンはドアノブをひねってみた。ドアノブは回った。……鍵は、かけていないようだ。
「レン、開けるよ……?」
開けると、ディスプレイの前に座っているレンの背中が見えた。
「!」
レンは気づいて振り返った。
「リ、リン!?」
慌てたレンは、ディスプレイを隠すように立ち上がった。
「ご、ごめん、……何かしてた?」
「……い、いや……」
レンは手探りでディスプレイの電源ボタンに指をかけたが、リンはそのディスプレイの隅に映るものに目がいった。
「……それ」
見覚えのあるねこのキャラクターが、顔を覗かせていた。
「レン、どうしたにゃ? ……にゃーっ!」
スピーカーから、かわいらしい声が聞こえたかと思うと、そのねこはレンの後ろに隠れるように姿を消した。
「……それって……」
「……」
レンは、目を反らして、気まずそうな顔で黙っている。リンも、タイミングが悪かったのかも、と思った。
「……ちょっと、時間空けてくるよ、大丈夫になったら呼んで」
「……ありがとう……」
少しだけ視線を合わせる。リンはうなずいて、ドアを閉めた。
リンは、いつもごはんを食べるテーブルで、レンに呼ばれるのを待つことにした。手に持ったシャーペンを見つめながら、これを返しにいっただけなんだけど……と、思う。そして、リンはさっき見た部屋の中を思い出していた。
初めて見た、レンの部屋……なんとなく、知っている気がするのは、レンが信じ込ませた記憶なだけだ。
レンの〈れな〉のデザインはクールな感じだけれど、部屋の中の雰囲気もそれに似ている。カーテンもベッドも黒色で、机や棚も、金属の銀色か木が塗装された黒色ばかりだ。その中で、パソコン類のランプが青く光っているのだけが、色らしい色といえるのかもしれない。
自分の部屋と比較すると……対照的だ。リンは好きな黄色やオレンジ色を選んで、カーテンや布団はその系統の色にしている。机は自然の木の色のままだし、並べているカラーボックスもナチュラルカラーだ。
すぐに出てしまったから、あまりしっかりとは見ていなかったが、リンの部屋にはないものが、レンの部屋には色々とあった。さっき見た、ねこが映っていたディスプレイは結構大きかったし、その隣にもディスプレイがあった気がする。それに、ディスプレイの前にはピアノのような鍵盤も見えた。
練習のとき、レンは電子キーボードを軽々と弾きこなしていた。リンも、楽譜を見ながらメロディーを弾くことぐらいはできるが、レンのように伴奏を弾くようなことはできない……となると、レンはあれで、普段から伴奏を弾く練習をしていたのかもしれない。練習好きのレンなら、やっていておかしくない。考えたこともなかったが、リンはそうだったような気がしてきた。
リンがそんなことを考えていると、レンの部屋のドアが開く音がした。
「ごめん、入っていい」
部屋から出てきたレンは言った。
「あ、そんな大した用じゃなかったんだけど、ここでも済むっていうか」
「いや、入って」
リンはシャーペンを見せようとしたが、レンは言葉で遮った。
「挨拶したいって言ってる」
「挨拶?」
「見えてたよな。ごむまり」
「う、うん」
さっき見えた、ねこが、リンに挨拶をしたい……らしい。促されるまま、リンはレンの部屋に入った。