リンは、レンに起こされ、事務所のレッスン室に来ていた。正直眠かったが、起こしに来たレンに睨まれ、無理やり連れてこられた。
「もっとゆっくりしたかったよー」
「最近気が緩んでるぞ。そろそろ仕事だってあるだろ」
「あるけどさー。こんな朝から練習しなくたって仕事はできるよぉ」
「考え方が甘いんだよ」
「レンが厳しすぎるの!」
ボイストレーニングプログラムの一部だから、レンは利用者であるリンに練習をさせることが使命……なのだとしても、もう少し優しくしてくれてもいいんじゃないか、と、リンは常々思っている。
レンが、リンのためを思って色々してくれているのは分かっている。それでも、きついものはきつい。
「もー、とりあえずタスクはやるからさぁ。それやったら許して?」
リンはそう言いながら、端末の画面を操作した。〈れな〉を、立ち上げる。
「……やったら、休憩ぐらいは入れてやる」
レンは厳しい表情のままそう言って、自分も端末を操作した。
「大体、タスクなんてちょっとしかないんだから。その後俺が教える。準備運動だと思えよ」
「ああー、もう、レンのスパルター!」
〈れな〉の一部であるレンの指導の方が、リンにとってはボイストレーニングの本番である。〈れな〉のシステム構築で、タスクよりレンの主導する方がメインになっているが、それは初めから変わらない方針として続いている。
「……あれ?」
リンは、画面を見つめたまま首を傾げた。
「どうしたんだ?」
「これ……どういうこと?」
レンに、リンは端末の画面を見せる。画面は一面灰色になり、中央には「アンケートシステム起動中」と、表示されている。
「……ああ」
レンは、自分の端末の画面をリンに見せた。どちらも同じ表示になっている。
「〈れな〉は、たまに利用者アンケートをやるんだ。ちゃんとボイストレーニングプログラムとして役に立ってるかどうかとか、改善してほしいところがないかどうか、聞いたりするんだよ」
「そういうのあるんだ」
「システムの構築が自動だと、よくないところも出てくるかもしれないからな。それに、使っているうちに出てくる要望もあるだろうから」
「へえ、……」
リンは、ぼんやりとうなずいた。〈れな〉のアプリケーション自体は、そこまで使っていないから、アンケートで聞かれても、答えることがないような気がする。〈れな〉にはレンも含まれるのだとしても、……ぴんとこない。
「起動中ならタスクはできないな。軽く声出して、歌うか」
レンが、電子キーボードで音を鳴らして、初めの音を確認する。横に並んで、二人で合わせて歌う。いつも通り、レンの歌声は安定していて、リンは安心して声を重ねる。
「ねえ、レン」
「何」
歌い終わって、リンは聞く。
「アンケートシステムって、起動に時間かかるものなの?」
「そうだな、〈れな〉を入れたときに質問してくるやつと似てるから……多分」
レンは、いまだに表示の変わらない端末の画面を見て、自信なさげに言った。
「多分って……レン、〈れな〉のプログラムだったよね?」
「そうだけど、俺は一部だからよく分かんないっていうか、……」
「そんなに自動生成プログラムが色々知っていても困りますからね」
リンは、突然自分の背後からレンの声がして、びっくりして振り向いた。そして、レンも、自分ではないところから自分の声がして、びっくりして声のした方を見た。
「……え?」
リンの振り向いた先には、……レンのような、誰かが立っていた。
「……は?」
レンも、同じように振り向いて、顔をしかめた。
それは、確かにレンと全く同じ顔をしているのだが、髪の色は真っ黒で、服も、それに合わせているのか、全体的に黒色である。レンが仕事のときに着る制服のようなセーラーの服を、色反転したような状態だ。
「だ、誰……」
なんとかリンが声を出すと、その黒っぽいレンのような誰かは、リンを見て、にっこりして見せた。
「初めまして! あ。……初めましてではないですね。いつもお世話になっています。〈れな〉と申します!」
リンは何も答えられず、びっくりして動けず、横のレンの方すら見ることができなくなった。
「……〈れな〉……?」
レンが言うと、〈れな〉と名乗ったそれは、今度はレンの方を見て、真面目な表情をした。
「面談です」
「……」
自分の色違いのようなそれの全身をじっくり見て、レンはあからさまに嫌そうな顔をした。
「なんでそんな姿で出てきたんだ。アンケートなら文字でやれよ」
「自動生成プログラムごときが口出ししないでくださいますか?」
「ごときって……!」
「私がメインシステムですよ」
「え、待って、ちょっと待って……」
睨み合う二人のレンの間に、リンは手を伸ばした。二人ははっとして、リンの方を見た。
「ど、どういうことなの」
「リン、こいつは――」
「大変失礼いたしました! 私、〈れな〉の利用者アンケートを取りに参りました!」
レンの言葉を、黒っぽい方のレンが遮る。そして、片腕につけている腕章をリンに見せた。そこには、〈れな〉のアプリケーションのアイコンと同じマークが描かれていて、横に「アンケート実施中」という文字も書いてある。
「リンが分かんないのはそういうことじゃない。俺が説明する」
今度は、レンが黒っぽいレンの手前に出てくる。
「アンケートシステムが起動中だっただろ。〈れな〉のメインシステムが、アンケートを取るために、こうやって姿を作って出てきたんだ。だから、こいつは〈れな〉本体……みたいなものだ」
「そういうことです! なので、私のことは〈れな〉と呼んでください!」
得意気にする黒っぽいレン……〈れな〉が、リンにまた微笑む。リンは、レンと〈れな〉を見比べながら、とりあえずうなずいた。
「文字にしなかった上に、こんな姿にしてきた意味は分からないけどな」
レンはそう言って〈れな〉を睨んだが、〈れな〉は涼しい顔をした。
「自動生成プログラムが端末の外にいますから、私もアンケートの際は外に出ようと思っただけですよ。それに、新しく姿と声を作るのも大変ですので、真似ればすぐに生成できると思いまして」
「……結構時間かかってたんじゃないのか」
「いえ? ついでですので、どのようにボイストレーニングをしているか観察しようと思いまして。だから姿を消してずっと見ていましたよ。朝から頑張っていますね」
知らないうちにずっと見られていたらしく、リンもレンも、少し震えた。頑張っていた、と思われたなら、いいのかもしれないが……。
「今日のボイストレーニングは、一日中やるつもりなのですか?」
〈れな〉は、レンに聞く。
「そのつもりだったけど」
レンは、むっとした顔で答える。〈れな〉は驚いた顔をした。
「そこまでやる必要はないと思いますが。あまり気を張らないよう、一旦練習はお休みして、しばらくお話ししましょう。いかがですか?」
〈れな〉に聞かれて、リンは横のレンを見た。
「レン、……いいのかな」
「……リンが練習したいんだったら、こいつの言うことは無視してもいいんだけど」
「それは、……」
すごく練習したいかというと、そうでもない。レンはスパルタだと言っていたばかりだし……でも、レンは練習をしたいのだろうし……と、リンは悩んだ。
「そういうのは重圧というのですよ。私が制御をかければ、あなたの行動に制限をかけられます。お分かりですよね?」
〈れな〉が、穏やかなようで、冷たい視線をレンに向ける。レンは悔しそうな顔をした。
「違う……俺は、俺に構わずに、リンの意思で決めればいいって意味で言ったんだ」
「言い方が下手なんですか?」
「……下手で悪かったな……」
レンは、〈れな〉に怯えているのか、小さな声で言って、それから口を閉ざした。
「リンさん、いかがでしょう? お話ししませんか。〈れな〉を利用してくださっているリンさんが、嫌だと言うのであれば、私もそれには逆らえませんので」
「……話すっていうのは、アンケートなんですよね」
「はい」
わざわざ端末の外に出てまでアンケートを取ろうとしてきているわけだし、今レンと一緒に過ごせているのも〈れな〉があるからだし……と、リンは考える。そして、〈れな〉にうなずいて見せた。
「分かりました、しばらくお話しするということで」
「ありがとうございます!」
リンが答えると、〈れな〉はとびきり嬉しそうな顔をした。レンは、黙ったまま、そんな〈れな〉を眺めた。
「アンケートが終わったら、練習はまたやるから……レン、それでいいよね」
リンは、レンの表情が気になって、確認する。
「ああ、気にするな」
レンは一言そう言って、また黙った。
「では、色々質問をしようと思うのですが、うーん……」
気を取り直した〈れな〉は、そう言ってからレンを見た。
「あなたがいるとちょっと聞きにくいですね。リンさんが、あなたに遠慮して答えられないと困りますし」
「……邪魔だって言いたいのか」
「そうとも言いますね」
「そうなのかよ」
〈れな〉はずっと穏やかな調子の割に、レンには毒のある言い方をしている。
「あっ、リンさん。場所を変えませんか? この自動生成プログラムには、その間ここで練習しながら待ってもらいましょう」
「えっ、……」
あからさまに態度を変える〈れな〉に、リンは戸惑う。レンはリンをかばうように言葉を挟む。
「別に、俺が席を外してもいいんだけど」
「いや、それは悪いですよ。あなたは練習が大好きなんでしょう? 練習を中断してしまったこと、申し訳ないと思っていますよ」
「いや、俺はリンに指導をするために――」
レンが言うのを無視して、〈れな〉はリンの方へ近づいた。
「ねえリンさん、落ち着いてお話しするなら、喫茶店がいいでしょうか?」
「え、喫茶店、……」
「喫茶店ですよね!」
なんだか、〈れな〉は妙にわくわくした表情をしている。
「〈れな〉、お前」
レンは〈れな〉の肩を叩いた。
「喫茶店に行きたいだけか?」
「……」
にっこりした表情のまま、〈れな〉は黙った。
「リンと喫茶店でゆっくりしたいんだな?」
レンは問い詰めるように言う。
「……せっかく外に出たんですよ……?」
〈れな〉は恥ずかしそうに言った。レンは大きなため息をついた。
「……リン、行きたいらしいから……付き合ってくれるか……」
「うん……?」
リンは、とりあえず了承することにした。