リンとレンは、いつも通りに事務所の食堂で持ち帰りの夕食を頼んで、アパートに戻った。
「いただきます」
いつも通り、持って帰った料理はテーブルに並べて、二人は向かい合ってそれを食べる。
……いつも通りだと、思っていたんだけど……。リンは、そう思いながら、前でごはんをもくもくと食べているレンをちらりと見た。
目の前にいるレンは、実はボイストレーニングプログラム〈れな〉が作った自動生成プログラムで、リンをやる気にさせるために、つい1か月前に存在し始めた「ライバル」だ。
……という、正体が分かってからも、同居している双子の片割れにしか思えないのは、変わらない。レンがそう信じ込ませたわけだし、信じ込まされた側のリンが、急にそれを疑えるわけがない。それに、双子だと思っていて、何か弊害があるわけでもない。だから、リンはレンのことを、今後も双子の片割れだと思って過ごしていくだけだ。
――しかし、正直なところ、距離感は、ある。これは、正体が分かってからではない。喋らずにごはんをもくもくと食べるというのは、この1か月の間にもたくさんあった。この距離感は、「本当は双子ではない」ということを、リンが意識していないところで自覚していたからなのかもしれない。それか、レンが騙しきれなかったのかもしれないし、この距離感こそがレンの信じ込ませたものなのかも、しれない。
何か話をしようかな、と、リンは考えてみるが、浮かばない。元々レンがいなかったなら、今頃リンは一人で夕食を食べていたはずで、何か話をすることなんて考えもしなかったはずだ。
「……リン?」
いつの間にかごはんを食べ終わっていたレンが、名前を呼んできた。
「え?」
「ごはん……」
レンの視線は、すっかり止まっていた、ごはんを乗せた箸に向いている。
「あ、……」
リンは慌ててごはんを口に入れた。慣れないことを考えるから、こんなことになる。温かかったはずのぶりの照り焼きも汁物も、かなり冷めてしまった。
食べるのを邪魔すると悪いから、レンも喋らない。控えめな視線を受けながら、リンはごはんを食べ進めた。
「ごちそうさまでした」
結局、二人は挨拶まで話さなかった。そして、いつも通り、それぞれの部屋に入った。
部屋に戻った後、リンは、いつも通りベッドに寝転がるなどして、端末の画面を見つめた。
漫画でも読もうかな、と思ってから、ふと、レンのことを思い出した。
ごはんだけ一緒に食べて、その後、いつも、こうやってそれぞれの部屋で過ごしている。少なくとも、この1か月間はそうだった。その前はきっと、一人でごはんを食べて、一人で過ごしていたのだから、何も変わったわけではないのだが……。
「双子ってこうなのかなぁ……」
朝、起こされるときに少し話すとか、そういうことはする割に、それ以外はほとんど一緒に過ごしていない。そういうものだと勝手に思っていたけれど、双子にしてはよそよそしすぎる気がする。いや、正確には双子ではないけれど、でも、結局双子として過ごしているわけだし……。
そんなことをリンが考えていると、突然部屋のドアが開いた。
「えっ!」
リンが声を上げると、そっとドアの向こうからレンが顔を覗かせた。
「……ごめん、驚かせた?」
「あ、レンか……ちょっとね」
今まさに考えていたレンが現れて、どきっとしたのはある。でも、レンが部屋に来ること自体は、別に珍しくはない気もする。
「何かあった?」
なんとなくおどおどしているレンは、少し珍しい。起こしに来るときは冷たい目で見てくるのに。
「……聞きたいことがあって」
部屋のドアを中から閉めて、レンは小さい声で言った。
「何?」
「……暇なときって、どうしてる?」
「……?」
レンの質問に、リンは言葉を失ってしまった。想像の範囲外だった。
「ひ、暇なときって、……」
聞きに来るようなことなのか? そもそもそんなことを疑問に思うのか? それが不思議で仕方ない。
「……やっぱり、俺、変なこと聞いてるよな」
自信がなさげなレンは、さらに表情を暗くした。
「え、……いや、変っていうか……? あ! それより椅子座ってよ!」
「あ、ああ、うん」
レンに、机の前の椅子を勧める。レンは椅子にそっと座った。いつもは自分から座ることが多いのに。
「え、レン、暇だったの?」
リンは聞いた。なんとなく、夕ごはんの後は、何かしらやることがあって、それに打ち込んでいるのかと思っていた。
「……今は。俺、さ、この時間は、前までは欠黒象作ってたから、暇じゃなかったんだけど」
「そうだったの?」
「でも……今、それないから。色々、今までどうしてたか分かんなくなってきて……」
そういえば、欠黒象を作っていたのはレンだった……今はもう、なかったことにはなっている。一応はリンの歌を上達させるという目的があったものの、「空間を欠損させて世界を消してしまう」なんてものをずっと作っていた……と考えると、恐ろしいところはある。だから、暇になってよかった、はずなのだが。
「てっきり、私はずっと歌ってるのかと思ってたよ」
「さすがにずっとは無理だ」
「えー、レンでも?」
「何事にも限度はあるだろ。喉にも悪いし……」
休みの日、暇さえあれば練習に励んでいるのを見ていた限り、レンが自分の喉をいたわっているなんて、リンは思っていなかった。……リンが一緒に練習していない時間に、例えば欠黒象を作るとか、別のことをしていたのだろうが。
「暇って、こういうのなんだな……」
レンは、息をつきながら言った。何を言っているんだろう……とリンは思って、こんなこと前にもあったな、というのを思い出した。
「レン、部屋でくつろいでるか聞いたとき、漫画とか読まないって言ってたね」
「ああ、言ったな」
「それって、欠黒象作ってたからそんな暇なかったってこと?」
「それもあるけど、……ほんとに、部屋でくつろぐって意味が分からなくて」
「それは……プログラムだからってやつ……なの?」
「……そうだな。俺には要らないことだから」
てっきり、真面目だからだと思っていたが、プログラムだからと考えれば、歌の練習以外のことに興味がなさそうだったのは納得がいく。……信じがたいけれど。
「レンは自分の部屋に鍵かけるよね。レンって趣味とか邪魔されたくないタイプかと思ってたけど……ほんとに趣味とかじゃなくて?」
「うん、欠黒象作ってるのばれるわけにいかなかったから、……リンには、俺の部屋に入っちゃいけないって思ってもらえるように、仕向けたよ」
「うわ……」
もはや驚くこともないが、それにしても、面と向かって真実を告げられると、やっぱりぞっとする。双子だと信じていたのに……。
「さ、最初だけだから! 必要な印象だけに、絞って、やっただけだし……、欠黒象作るのが俺だったからだし、今はそういうのないし、……」
怖がるリンに、レンは焦って言った。
「え、でも、ミク先輩も修復者になるように仕向けたんでしょ?」
リンは、質問に対する回答の解析結果で自動生成プログラムができたから、それに対して色々されたのはいいが、ミクは〈れな〉を勧めてきた先輩であるというだけだ。
「それはそうだけど……それは、……」
レンは気まずそうに、顔を背ける。リンは、ベッドから立ち上がって、座っているレンの膝を叩いた。
レンが驚いて顔を向けた先から、リンの強気な視線が刺さる。
「ちゃんと話して! もう隠すことないでしょ!」
「……」
押し黙るレンに、リンは言葉を続けられなくなった。なんだか少し、泣きそうにも見えた。
「……レン、ごめん、言い方が悪かったよ。ミク先輩が巻き込まれてるのはどうなんだろってのは本音なんだけどさ、……レンとしては、私の歌を上達させたいって理由で色々やってたんだよね」
「……それは、間違いない」
リンが聞き直すと、レンは目を伏せながら答えた。
「ミク先輩が巻き込まれたのはその延長なんだよね?」
「……半分は、そう」
「半分?」
リンは目を丸くした。レンは、どう説明するか悩みながら、言葉を続ける。
「リンの身近な見本だから……っていうのが、半分。もう半分は、……頼まれた、から」
「頼まれた?」
「ごむまりが言ってたから……」
「え?」
ごむまり、という謎の単語がレンの口から飛び出して、リンは頭の中で疑問符を浮かべた。
「分かるわけないよな……えっと、先輩の〈れな〉のこと、……って言えば、いいかな」
「先輩の〈れな〉が関係あるの?」
「うん、……リンは、先輩の〈れな〉は見たことあるんだっけ」
「うん、あるよ。……それが?」
「なら、ごむまりも見たことあるのか」
「?」
ミクの〈れな〉といえば、ボイストレーニングのタスクをやる機能、コラムを読む機能と、あと、表示されているねこのキャラクターと遊ぶ機能がある。最後のは全くボイストレーニングと関係なさそうだが、癒しだと言っていた。
「やたら跳ねてるねこ、いただろ。あれがごむまり」
レンが言ったのは、表示されていた真ん丸なねこのキャラクターのことだった。
「え!? あれ、ごむまりって名前なの!?」
「いや、俺が勝手にそう呼んでるだけ。ゴムでできてそうな跳ね方するから」
「確かに跳ねてはいたけど……って、頼まれたって、え? あのねこに?」
「ごむまりも、自動生成プログラムって意味では俺と同じような存在なんだけど……俺とは違って、端末の外に出てないけど、先輩の悩みなんかは都度聞いてることになるな」
リンは、改めて〈れな〉のシステム構築に驚いてしまった。表示されているだけのキャラクターではなかった。
「システム構築のときにごむまりが来て、……先輩のプライバシーに関わるから、俺も詳しくは聞いてないけど、簡単に言うと、先輩は『後輩ともっと仲良くなりたい』って思ってることを、ごむまりが言ってきたんだ」
「後輩……」
「うん、リンのことだ」
リンが、「部屋に遊びに来ないか」とミクに誘われた日、ミクは「先輩だと命令みたいに思われそうでなかなか言えなかった」みたいなことを言っていた。
「よほどの理由がなければ接点を持たせられないから、リンの〈れな〉のシステム構築がいいきっかけだと思ったんだろうな。……俺は欠黒象の仕組みとほぼ同じときに作られたから、正確には俺が先輩を巻き込もうと考えたわけじゃないんだけど……記憶では、ごむまりの話があったから、先輩も修復者になったはずだ」
「へえ……」
リンはぼんやりと言って、ふと気づいた。
「レンが存在し始めてから、ミク先輩が修復者になるように仕向けたんじゃないんだ」
「まあ、そう言われれば、そうだな」
「レン、そこまで申し訳なさそうにすることないんじゃ……?」
リンは首を傾げて、言われたレンも首を傾げた。
「全部レンが色々やってたならそういう顔するのも分かるけど、その話だと、〈れな〉のシステム構築でそうなったってことだよね」
レンがやっていないなら、レンが負い目を感じる話ではない気もして、リンは終始苦しそうな顔をするレンが、かわいそうに見えてきていた。
「それはそうなんだけど、……」
レンは、やっぱり違うのだと、首を横に振った。
「俺の根元って結局〈れな〉だから、〈れな〉のシステム構築の流れは俺の意識とあんまり変わらなくて……実質、俺がやったみたいな感じがして。だから『なんでこんな仕組みにしたの』って言われたら、俺が申し訳ないって思うんだよな」
「そうなの……なんかめんどくさいんだね」
見た目には、普通に話しているだけに見えるのに、裏には何か、レンの意識を動かすものがあって、それがプログラムで……。分かるような気もするが、リンにはめんどくさく感じるだけだった。
「はあ」
二人は言葉が思いつかなくなり、同時にため息をついた。そして、お互いの顔を見た。
「……」
「……息、合っちゃったね」
驚くレンにリンが微笑んで言うと、レンも少し表情を緩めた。
「今のなんか、双子っぽい」
「……そう、かも」
「――いや、私たち双子だもんね!」
「そういうことになってるな」
「レンがそうしたことになってるもんね?」
リンがにっこりしてみせて、レンはただ首を縦に振った。
「それって、私と双子になりたくてなってくれたんだもんね? そうだもんね!」
「……え、と」
「もう双子になっちゃってるし! 私もそれがいいって言ったからこうなんだし!」
リンの勢いにレンは押されつつ、言われていることは間違っていない、と思った。双子になることはレンが仕組んだことで、双子の相方としてのレンを復活させることはリンが望んだことだし、それなら、お互い双子になりたいということに、なる。
「さっき、双子っぽい、ってなんなんだろうなーって考えてたんだ。ごはんの後に別々の部屋で過ごしててさ、全然喋らないのって双子っぽくないなーって」
「うん」
「けど、実際双子じゃなかったなら納得いくし、……お互い、まだ知り合ってそんなに経ってないんだもんね。レンは私のことどれぐらい知ってるつもりか分かんないし、私も昔から知ってるつもりだったけど、よく考えたら全然分かんないんだよね」
「そうだな……」
「だから」
リンは、ベッドに座り直し、自分の横の空いた場所を手で叩いてみせた。「隣に座って」という意味だ。レンはそれを理解して、椅子から立つと、リンの横にそっと座った。
「暇になった時間はもっと喋ろうよ?」
リンとレンの目線が、同じ高さになる。
「……そっか、そうすれば……いいのか」
レンは、なるほど、という顔でうなずいた。
「あ、でも今日はいっぱい話したよね! レン、色々教えてくれたし」
「……教えたっていうか、お詫びの説明みたいなものだったけど」
「それは、レンがちゃんと自分のこと話してくれたってことでしょ? 今まで全然話してくれなかったもん!」
「確かにそうだったけど……」
戸惑うレンに、リンは笑ってみせた。
「なんかさー、レンって割とクール気取りなとこあったし」
「き、気取りって……」
「いつも『俺は無駄なことする主義じゃない』みたいな感じじゃん」
「無駄なことする必要はないだろ」
「そういうところが喋りにくいの!」
「……そんなこと言われても」
「これからは、無駄でもいっぱい喋るんだからね! いい?」
「……うん」
レンは、自信なさげにうなずいた。喋る、と一言で言っても、何を話せばいいんだろう、と、疑問に思った。
「え、何? 喋りたくないの?」
表情が暗いレンに、リンは顔をしかめる。
「ち、違う。喋るって、何を、って思って」
「そんなのなんでもいいんだよ!」
「なんでもって、難しくないか」
「……んー、それはそうだけど……今考えても仕方なくない? 考えることじゃないよ」
レンが真剣に悩むのに対して、リンの答えは適当だ。リンからすれば、レンが悩んでいることが、よく分からない。
「……そっか、……」
レンが言った後、少しだけ、沈黙が流れる。レンも、リンも、次の言葉は思いつかなかった。でも、いつもは一人で過ごしていたこの時間に、今は二人、並んでいる。二人で、お互いの顔は見ず、部屋の壁を、ぼんやりと見つめる。
「……また、喋る内容は考える」
レンは、とりあえず一言発した。
「レン、そんなに真面目に考えなくていいんだよ」
リンは、レンの顔は見ないまま、穏やかに返した。
「そういう……ものか」
「そうだよ」
リンは答えると、後ろにそっと倒れた。ベッドに転がったリンの姿を、レンは視界に入れた。
暇なとき、どうしているか。レンは部屋に来た理由を思い出していた。……喋ればいいし、喋らなくても、こうして二人で過ごせばいい。少なくとも、一人で部屋にいるよりは、それの方がいい。聞きに来てよかった。
……喋ることは、必要があるのか。そもそも、暇なときどうすればいいかなんて、聞きに来る必要があったか。でも、聞きに来てよかったと思ったのは……自分は、リンと、話がしたかったのかもしれない。レンはそんなことを考えながら、リンの姿を見て、少し微笑みを漏らした。