代表会の日がやって来た。会議の開かれる家では、リンの叫び声が響いていた。
「いや! 絶対いや!」
今日こそは会議室でお茶を出すように言われたが、会議室の外でお茶だけお盆に並べると、リンは逃げ出してしまった。
リンこそが、フルビスを作っているお菓子屋の娘である。代表会の度に、自分の家に妖魔が訪ねてくるのは辛くてたまらない。しかし、フルビスの売り上げの半分は妖魔によるものなので、お菓子屋としては妖魔たちとの関係を切ることは絶対にできないことも分かってはいる。頭では、分かっている。
でも怖いのだ。昔、フルビスを求めてやってきた妖魔の団体にもみくちゃにされた。もみくちゃにされたところで手を差し伸べてくれた妖魔の姿が怖すぎた。夜、妖魔はお詫びに来てくれたが、夜の闇に紛れたその姿が怖すぎて夢に出た。どうしてもその頃の記憶がフラッシュバックしてしまう。
もちろん、代表会に来るような妖魔たちは、話し合いをするために来ているのだから、悪意はないのだろうが、それでも、会議室の中から漏れる話し声の中には、明らかに人間とは異なる恐ろしいものも混じっている。話し合っている人間側はもう慣れてしまっているようだが、リンにはどうしてもそれが理解できなかった。
一方、人間との会議の場であるということで、レンはできるだけ真面目な服に身を包み、代表会にやってきた。ベルデの横について見学するだけということになっているので、特に緊張する必要もない。
帽子も被り、様々な容姿の妖魔たちの中で、レンの存在感はほとんどなくなった。唯一妖魔っぽい要素の角が隠れるので、人間とあまり変わらない状態である。
会議室に案内されて入り、席につく。しばらくして、部屋の外からリンが嫌がる声が聞こえてきた。
「いつもすみません……」
向かい合って座っている人間たちの中で、端にいる人が頭を下げる。おそらくフルビスのお菓子屋の代表だ。
「いえいえ」
妖魔たちは慣れているようで、大丈夫ですよと笑っている。レンの隣に座っているベルデは、あの声が例の娘さんだよ、と囁いた。
その声からしばらくして、会議室のドアが開いて、人間の女性がお茶を机に並べ始めた。見た感じ、年齢はレンから見た親世代のようなので、きっと母親が代わりにお茶を出しているといったところだろう。
出されたお茶を周りに合わせて飲みながら、レンはまだ見ぬリンのことを想像していた。……きっと、とてもではないが、自分には相手ができないだろう。会議室にすら入ってこないほど嫌がられているのだから。
話し合いは、お互いの地域から持ってくる食品や物資の話で、今までと変わりなく、ということでほとんどの話が進んでいく。フルビス以外の食品や日用品も、今までレンが気にしていなかっただけで、思った以上に人間側にお世話になっていることが分かってきた。一方で、妖魔側から提供しているものもそれなりにたくさんあるようで、総合すると、バランスよく助け合っているということが分かった。普段の生活は、この話し合いによって支えられてきたのだ。
会議は一旦休憩時間を挟むことになった。レンはトイレを借りるため、場所を教えてもらって会議室を出た。
会議室の外は大きな廊下だった。来たときはベルデの後ろについていっただけなので意識していなかったが、一般の家に比べれば、明らかに豪華な家だった。床は絨毯だし、玄関も大きいし、壁には絵画が貼ってあるし……会議室があるのだから、ここは家というより公共施設なのかもしれないが、ベルデの話では「家とは思えないけど立派な家」らしい。娘さんというか、お嬢様なんじゃないだろうか……レンはそう思いながら、教えてもらった場所を忘れないうちにトイレに向かった。色々見て回っていたら迷ってしまいそうだ。
用はすませてレンがトイレを出ると、外から大きな物音がした。何だろう、と思って廊下に出ると、廊下には掃除道具が散乱していた。そして、その近くには、エプロンをつけた女の子……リンが倒れていた。
「え……だ、大丈夫ですか!」
慌ててレンが駆け寄ると、リンはゆっくり起き上がった。
「いたた……だ、大丈夫です」
エプロンを手で叩き、恥ずかしそうに言ったリンの髪は、レンと同じ薄い黄色だった。
少し離れたところに、車輪のついたかごが倒れている。それを引き寄せて、リンは散乱した掃除道具をかき集め始めた。ほうきに雑巾、霧吹き、洗剤……盛大にぶちまけてしまったようだ。レンはそっとそれを手伝い始めた。
「え、あのっ」
声がひっくり返るリンに構わず、レンは掃除道具を拾う。
「気にしないでください、二人でやる方が早いと思います」
「あ、ありがとうございます!」
二人は掃除道具をかごに戻しきって、向かい合った。リンはおそるおそる、レンに聞いた。
「あの、……代表会の方ですか?」
「はい」
「そうでしたか……すみません、お客様にお手伝いいただくなんて……。私はこの家の娘で、リンといいます」
リンはそう言って、深々と頭を下げてきた。こんな大きな家の娘だから、てっきりお嬢様なのかと思いきや、意外と普通の身なりといったところである。まあ、お茶出しを命じられるお嬢様なんていないだろうし、掃除道具を運んでいたのだから、きっとこの家には、執事やメイドのような人はいないのだろう。
「僕はレンといいます……」
名を名乗られたので、レンも思わず名乗り返してしまった。
見たところ、同じぐらいの年齢で安心したのか、顔を上げたリンの表情からは、少しだけ緊張感がなくなっていた。
「代表会の方ということは……会議室にいらっしゃったんですよね」
「はい」
「……あの、私の声、聞こえちゃってましたよね……いやって言ってたの……」
リンはレンに近づき、小さな声で聞いた。
「……はい」
レンは正直に答える。そして、気づいた。妖魔が嫌なら、今頃自分の前から逃げ出していそうなのに、全くそんな様子がない。……もしかして、帽子を被っているから、妖魔だと気づかれていないのかもしれない。
「妖魔……苦手なんですか?」
レンがそっと聞くと、リンはゆっくりうなずいた。
「そろそろ克服しなきゃと思うんですけど、どうしても思い出してしまうんです……昔のこと。そんな大したことじゃないんですけど」
リンは簡単に、フルビスを求めてやってきた妖魔に囲まれ、もみくちゃにされてしまった過去をレンに話した。レンは、確かに大したことではないとは思ったが、本人が今こんなに嫌がるなら、リンにとっては大したことだったのだろうと思った。
「うちのお菓子を喜んで食べてもらえてるのに……妖魔が怖くないのは、分かってるつもりなんですけど……」
レンは、リンの言葉ひとつひとつにうなずきながら、話を聞いた。リンもそれがありがたくて、ついつい話してしまう。「妖魔嫌い」と家族に思われるようになってから、無意識のうちに、自分がますます妖魔嫌いになるように考えてしまっていたところがあった。だから、リンはやっと、思いの整理ができたような気がした。
「フルビス……僕も好きですよ」
ある程度話し終えたリンに、レンは言った。リンは、ありがとうございます、と首をすくめる。
「最近種類増えましたよね」
「はい! 実は私がデザインしたものもあるんです!」
リンは顔を輝かせる。自分の関わったものを買ってくれた相手と話をしているのが、嬉しくなっていた。
「そうなんですか……!」
レンも、好きなフルビスに関わっている人と話している事実に感動してしまった。
少し間を置いて、リンはまた話し始める。
「……音楽パレードが近々あるじゃないですか」
「ありますね」
「あれも、ちゃんと行けって言われてるんですけどね……行くとは思うんですけど……」
「僕も行く予定です」
「ほんとですか」
レンは適当に言って、気づいた。前回以前の音楽パレードも見に行っていたから、今回も行く予定だと思い、そう言っただけだった。しかし、よく考えたら、音楽パレードに出る側になってしまったのだ。
「あ、いや、僕は行くというか、……」
そう言いかけて、レンは言葉を止めた。音楽パレードに出る、それは妖魔側だけの話だ。リンには妖魔だと気づかれていないようなので、このままそう思ってもらっていた方がいいだろう。
「? あ、代表会だとパレードの準備をされるんですか?」
「……そ、そんな感じです……多分……」
あまりごまかせてはいないが、リンはよく分かっていないような顔で微笑んでいるので、レンもとりあえず笑顔を作っておいた。
「会場で会えたらいいですね」
「そうですね、……」
そんなことを話して、あ、とリンが声を上げた。
「すみません。こんな長く引きとめてしまって……会議、まだあるんですよね。休憩時間なのにすみません」
「いえ、お気になさらず……失礼します」
二人はあたふたと頭を下げ合い、レンは慌てて会議室に戻った。
休憩後の会議も終わり、妖魔たちは帰路についた。結局、休憩後にレンはリンの姿を見ることはなかった。
レンはその後、ベルデと一緒に、楽団本部の建物に寄った。トランペットのメンバーの部屋に入ると、ちょうど練習をしているところだった。
「やっと一息だね」
ベルデは部屋に積んであるジュースの缶を二つ取り、片方をレンに渡してくれた。
「今日は一緒に来てくれてありがとう」
缶を開けながらベルデは微笑んだ。
「おれは何もしてないですけど……」
「いいんだよ。心なしか、今日はあっちも和やかな顔してた気がするし……」
練習にきりをつけたメンバーも、ジュースの缶をそれぞれ取って開け始めた。
「よかったじゃん」
アズもレンの横に座って声をかけてきた。
「そういえば、休憩のとき結構長いことトイレ行ってたね。迷ってた?」
「……あ」
ベルデに言われてレンは思い出した。リンに会ったことは言わずにいたが、ここでならもう大丈夫だろう。
「迷ってたんじゃなくて……あそこの家の娘さんと、会って、話してたので」
「え!」
ベルデはひどく驚いた顔をした。いつもの低い声からは想像できない声の裏返り方をして、他のメンバーが少し笑っている。
「会った? 話した? ……本気で?」
「……偶然……多分、帽子被ってて、妖魔だって気づかれなかったみたいで……」
話したことを大まかに伝えると、ベルデは納得した。
「レン君やるじゃん! 妖魔嫌いの娘さんと話すなんて!」
「おれもよく分からないんですけど……」
アズが大げさにレンの体を叩く。
「いや、よくやったよ。一生無理だと思ってた……。でもその話だと、心の底から妖魔が嫌いなわけじゃないってことだよね?」
「多分、そうだと思います」
なるほどなあ、と、部屋のメンバー全員で息をつく。そして、さっきまで練習で使っていた楽器に目をやる。
「それなら、やっぱり僕たちは音楽パレードを頑張るしかないよ。あの娘さんの怖かった記憶を払拭する機会なんて、これしかない」
「レン君、これはなかなか重要な立場になっちゃったよ?」
そんなことを言われてしまい、重荷だなあと思いながらも、今日話したリンの顔を改めて思い出し、レンは楽団員としての決意を新たにした。