仕事の当日、二人はいつもより早く、レッスン室へ入った。撮影自体は、普段練習を始めるより遅く始まる予定だ。しかし、レンが早めに行きたいというので、リンは眠い目をこすりながら、ついてきた。
「こんなに早く来て何するの……」
「今日の段取りを決めるんだよ」
「レンってほんと真面目だよね……はぁ」
椅子に座ってだらけるリンを横目に見つつ、レンは端末で〈れな〉を起動する。
「CMなんだから、〈れな〉を使う人に魅力的に映るような感じも必要なんだろ、きっと」
「わ、そこまで考えてなかった……あ、でも、レンからしたら自分の宣伝みたいなものだよね」
「……う、そ、そうか……」
「緊張してきた?」
「し、してない。ちょっと恥ずかしくなっただけ」
レンが見る端末の画面には、いつも通り大量のタスクが並んでいる。
「ボイストレーニングのタスクは基本機能だからな。〈れな〉を活用してるように見せるなら、やっぱりタスクをやるのが分かりやすいと思う」
「うーん……確かにそうだね……」
レンとの練習では、レンの用意した曲を一緒に歌うこともある。リンとしては、二人で普通に歌う方が楽しいので、タスクがメインになるのは、少し残念な気持ちだ。でも、CMとしてなら仕方ない。
「……リン、何か不満でもあるのか?」
「いや、不満ってわけじゃなくて……タスクやるのって、〈れな〉入れてすぐは、結構やってたね」
「最初の頃……か」
「でも、二人で普通に歌うのもやりたいよ」
リンは頻繁にそれを言う。レンもそれはよく分かっているし、二人で歌うときの、リンの嬉しそうな顔は好きだ。
「双子の練習風景……っぽくはあるよな」
「じゃあやろう! 絶対やろ!」
仕方がない、とレンが息をつくと、リンは満面の笑みになった。
撮影の予定時間になると、事務所の担当者や撮影スタッフ数人がやってきた。
「おはようございます!」
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いしますね」
リンとレンが元気よく出迎えると、撮影スタッフの人達も笑顔で返してくれた。
「今日はどういう練習をするかは決まってるの?」
事務所の担当者に聞かれ、二人はうなずく。
「まずは、〈れな〉を使ったボイストレーニングのタスクをいくつかやります。その後、成果を確認するのも兼ねて、二人で一曲、何か歌いたいと思っています」
レンが説明すると、スタッフたちは、しっかりしているな、と感心した表情をした。リンも、それを誇らしく感じた。
「では、いつでも始めてください!」
カメラの準備ができて、撮影が始まった。
それぞれ、端末で〈れな〉を起動し、ボイストレーニングのタスクが表示される画面を表示させる。二人は端末を横に並べ、画面を覗き込む。互いに異なるデザインで、表示されているタスクの量も違う。カメラも、二つの画面を撮っている。
「相変わらずレンのは多いね」
「まあな」
「ねえ、私見てるから、まずレンがお手本を見せてよ」
「なんでだよ!」
「レンは〈れな〉入れる前から個人練習してたから! ほら、お得意のロングトーンを!」
「……」
リンが、きらきらした顔で言う。カメラを向けられたレンは、困惑しながらも姿勢を正した。そういえば、リンに思い込ませた記憶では、〈れな〉を入れる以前から個人で練習をしていることになっていたのだった。
レンがロングトーンをやっている間、リンはそれを見守った。撮影スタッフは、真剣なレンの表情と、リンの笑顔をそれぞれ映した。
「ほら、やったから。今度は一緒にやるぞ」
「はーい」
レンは端末を操作し、リンに同時練習の申請を送る。リンは申請許可をして、二人で端末を並べて置いた。そして、二人は並んで発声練習をする。大抵、練習のときは毎回行うものなので、慣れたものだ。撮影スタッフたちも、穏やかにそれを見守った。
「レン、いっぱいやったね!」
3種類ほどのタスクを終えたところで、リンは言った。
「まだまだだけどな」
「いや、もうそろそろ、二人で歌うところを撮ってもらわなきゃ!」
レンの言葉には構わず、リンはカメラに向かって視線を送った。カメラを持つスタッフが、向けられたリンの笑顔につられて、表情を緩めた。
「リンが歌いたいだけだろ」
「えへへ」
「……やるか」
レンは冷静な表情を崩さない。でも、実際のところは、レンも歌いたい。――リンと、一緒に。
リンは、うきうきしながら、端末で曲の音源を探す。タスクに飽きたときのために、レンと一緒に歌うために、曲は色々と用意してある。
「じゃあこれで!」
「分かった」
選んだ曲をレンに見せてから、リンは音源を再生した。二人は、同時に息を吸い、そして歌い始めた。
こうして、人前で二人で歌うのは、リンの記憶では、当たり前のことになっている。でも、実際はきっと違う。これが初めてだ。しかし、記憶が後付けであるかないかは、どうでもいい。一緒に歌っているということを、今、一番確実に感じているからだ。横からのレンの歌声が、心地よく聞こえて、リン自身の声と重なる。
自分も、そして、本当はプログラムであるレンも、今は一緒に歌う双子として、目の前の人たちの目に映っている。その目の前の人たちが、微笑んで見守ってくれているということを、リンはとても嬉しく感じた。
歌が終わると、「最後に、カメラに目線をください」という合図をされた。
「今日はありがとうございました!」
リンとレンは声を揃えて、カメラに向かって微笑んだ。
こうして撮影が終了し、リンとレンはスタッフの人たちと終わりの挨拶を交わした。
「聞いてはいましたけど、やっぱり二人とも仲良いんですね」
「はい!」
スタッフに言われたリンは、満面の笑みで答えた。レンは、別に言うほどでも……と、微妙な顔をしたが、スタッフはにこにことしていたので、とりあえず小さくうなずいて見せた。
片付けを終えた撮影スタッフが出て行くと、レッスン室には、事務所の担当者とリンとレンだけが残った。事務所の担当者は、機嫌のいい顔をして、リンとレンの前に立った。
「なかなかいい映像が撮れたって。満足してたみたいだよ! お疲れ様!」
「よかったです」
「最後の歌も良かったね。また二人で歌う仕事もやろっか」
「ほんとですか? やります!」
「あはは、また決まったらよろしくね、二人とも」
「はい!」
リンの受け答えに笑いながら、事務所の担当者もレッスン室を出て行った。
「レンー! また二人で歌えるって!」
はしゃぐリンに、レンはため息をついた。
「まだ決まってないだろ……」
「いや、これはもう確定だよ! 見せつけちゃったもんね、私たちの魅力ってやつを」
「……」
本当にそうなのだろうか、とレンは思ったが、これを機に歌の仕事が増えるならば、悪くはないだろう、と思い直した。
まだ、昼ごはんまで時間はある。撮影しながらの練習で、疲れがないわけではない。二人は椅子に座った。
「今日の練習さ、初心にかえった感じだったよね」
「言われてみれば、そうかもな」
「〈れな〉を入れて、初めての日って……レンに練習するぞって起こされて来たんだっけ……今日もそんな感じだったし」
「早く来たかったんだよ」
「あのときは、『はー、今日もレンは真面目だなー』ぐらいにしか思ってなかったけど、……〈れな〉としてなら、私に練習させたかったってことなの?」
「プログラムとして、って言われたら、そうだな」
「私にとっては強引なだけなんだけどね」
「強引にしないと練習しなさそうだったから」
「よく分かってるね! さすが!」
「開き直るなよ……」
リンに呆れつつ、レンも、初めて一緒に練習したときのことを思い出していた。
「あのときの方が……」
「ん?」
「リンが何も知らない頃の方が、俺たちは双子らしかったのかなって……」
「何も、って?」
「俺が〈れな〉のプログラムとか……そういうの」
「あー、確かにそれはそうかも……? 私は疑いなく双子だと思ってたもんね」
「俺は、何もなければ、自分がプログラムなんて言うつもりはなかったから」
「……」
床に視線を落としているレンの顔を見て、リンは鳥肌が立つような感じがした。何も知らない頃のことを思い出すが、そのときほど、レンを遠くに感じる。今の方が、レンのことを、近くに感じている。記憶と今を比較しているからそう思うのかもしれないが、それだけではない気がする。
「わ、私は今の方がいいなー!」
「え?」
わざとらしく声を上げるリンに、レンは呆然とした。
「今の方が、レンのことよく分かってるもん」
「……確かにそれはそうなんだけど、でも、俺がプログラムって思って過ごすの、やりづらくないか?」
「え、だってレン、全然プログラムっぽくないし」
「……まあ、そう思われる想定はしてないけど、……違う。双子じゃないって分かってて、双子を意識するのは、変な感じがしないか?」
「うーん、別に?」
「……」
「本当はどうかっていうより、レンと一緒に歌いたいとか、レンのこともっと分かってたいとか、そっちの気持ちが強いもん。だから今の方がいいの」
「……うん」
リンにはもっといっぱい話そう、と言われたこともあったのだった。レンは、自分が色々気にしているのが情けなくなり、表情を暗くした。すると、リンはそれに気づき、慌てた顔をした。
「も、もしかしてレンはプログラムって思っててほしいの? あ、一緒にいるの嫌!?」
「ち、違う! そんなことない! 俺も――!」
ほんの少しの静寂の間に、レンは次の言葉を探した。
「……俺、も、一緒に歌いたい……」
そう言ってから、レンはその気持ちになる理由が、今までと少し違うことに気がついた。
「うん! ごはんの後、また歌おうよ!」
「……」
「熱心でしょ!」
「……そうだな……、でも、練習も怠るなよ」
「分かってるって! あ、レン、そろそろごはん行こうよ、私お腹空いてきたー!」
「はいはい……」
リンの反応に流されて、レンはいつもと変わらない受け答えをする。多分、レンの答えは、リンにとっては気に留まらないものだったのだろう。別に、些細な違いに気づかれる必要はない。それが当たり前で、日常に溶け込んでいていいものだ。
レンは、レッスンを出るリンの後ろ姿を追いながら「一緒に歌いたい」という気持ちを、もう一度心の中で繰り返した。その気持ちの理由は、リンの望みだからではなく、自分の望みだからだと気がついた。それを、大事にしたいと思うのだった。