レンがレッスン室のドアを開けると、リンは電子キーボードの前に座っていた。
「リン、お待たせ」
「おかえり!」
リンは嬉しそうな顔で立ち上がった。そして、レンの横の〈れな〉にも、頭を下げる。
「あ、お疲れさまです」
「ありがとうございます!」
〈れな〉は笑顔で答えた。それを、レンは横目で見る。
「もうこれでアンケートは終わりなんだろ」
「そうですが。最後にリンさんにごあいさつしておきたくて」
レンには少し冷たい視線を返してから、〈れな〉はリンの方を向いた。
「今日はありがとうございました。これからも〈れな〉をお使いいただけると嬉しいです。こちらの自動生成プログラムも含めて、今後ともよろしくお願いいたします」
「は、はい! もちろんです!」
「それでは、失礼いたします」
〈れな〉の姿は光に包まれたかと思うと、すぐに消え去った。
「……終わったか」
レンはそう言いながら、端末の画面を確認した。「アンケートシステム起動中」の文字は消えていて、いつも通りに大量のタスクが並ぶ画面に切り替わっている。
「リン、そっちも画面戻ったか?」
「えっと……」
リンも端末の画面を確認する。いつも通り、「今日も頑張りましょう!」というちょっとした文章と、三つほどのタスクが表示されている。
「戻ってるみたい」
「そうか。なら、やっとタスクできるな」
「……うん」
タスクができるかどうかを気にする辺りが、レンだなあ、と、リンは苦笑いした。
「あ、午前はやらない。やるなら、昼ごはんの後からやろう」
リンの微妙そうな表情に気づいたのか、レンは慌てて言った。
「え?」
「あいつ……そう言ってたし」
レンはむっとしながら、端末をしまった。
「ごめんな、びっくりしただろ」
穏やかに言うレンに、リンはそっとうなずいた。
「びっくりした……けど、レンが〈れな〉のプログラムなら、アンケートがあれでも、今更驚くことじゃないかも」
「それはそうか……」
「見た目がレンだったから変な感じはしたけどね」
「それなんだよな。あいつには、今度からは文字でやれって言っといたから。してくれるかは分かんないけど」
少し怒った声で言うレンは、さっきまでいた〈れな〉とは全然雰囲気が違う。リンにとっては、今のレンの雰囲気の方が、やっぱりしっくりくる。
「あはは……レンがこうやってここにいるから、自分も外に出たって言ってたよね」
「多分、構ってほしかったんだろ。めんどくさい」
「え、そうなの?」
「リン、あまり〈れな〉自体は使ってないだろ。多分だけどさ、他の人の〈れな〉は、もっと頻繁に使ってもらってるんだ。だから、さみしかったのかもしれないな」
リンは、〈れな〉が「うらやましい」と言っていたのを思い出した。レンの言っていることは、およそ合っているのだろう。
「も、もっと頻繁に見た方がいいのかな?」
「俺がやる練習をメインにするって方針は、あいつが決めたことだからな? あまり気にするな」
「う、うん」
リンは、端末を手に持ったままうなずいた。
「……ああ、でも、その方針も、リンが嫌なら変えられる」
レンは、リンの持つ端末を見ながら言う。
「歌の練習が、俺じゃなくて〈れな〉のタスクで十分だっていうなら、俺が練習を一緒にやるのはやめる」
「え、レンが一緒に練習しないってなったら、レンはどうするの?」
「必要ないなら、俺は消えるだけかな」
想像もしなかったレンの発言に、リンは青ざめた。
「怖いこと言わないでよ! やだよ! これからもいてよ!」
「……うん、ありがとう」
レンは小さな声で言った。リンはとりあえず安心したが、胸がどきどきして仕方なかった。
「ご、午後からは一緒に歌ってくれるんだよね、これ歌うんだよね」
リンは慌てて、電子キーボードの台の上にある楽譜を手に取った。
「そのつもりだけど……休んでたんじゃなかったのか」
レンは驚いた顔をする。リンはうなずいて見せた。
「新しい曲だったみたいだし。だから、音は取ってみたよ。……これってまたレンが?」
「……なんでもいいだろ」
「レンなんだね?」
「……そうだよ」
「だと思った!」
練習のためにレンが曲を作っていることは前に聞いたし、今更ごまかそうとしても通じない。リンはそうだろうと思って、嬉しくて、ちゃんと音を取ったのだ。午後から、すぐにでも歌えるように。
「レン、ありがとね」
「……俺も」
リンの笑顔に、レンはそっと微笑み返した。
そろそろお腹も空いてきたので、二人は食堂に向かうことにした。午後からの練習のために、しっかりごはんを食べなければ。
先を歩くレンの後ろで、リンはそっと端末の画面を確認し直した。
《午後からも無理をなさいませんよう。頑張ってください!》
その横の笑顔の顔文字を見て、リンは少し笑った。そして、レンの横に駆け寄った。