ミクとは、また練習するという約束をして、リンはうきうきしながら、レンのいるレッスン室へ戻った。
「ただいま!」
「おかえり。嬉しそうだな」
「うん! 先輩といっぱい一緒に歌えたよー!」
「……よかったな」
満面の笑みのリンに、レンは微笑んだ。
「色々練習できたか?」
「うん。まずは一緒に歌って、それから先輩が〈れな〉で練習してるのも見たし、……あ。それでね、お試しの「乙女ゲームモード」っていうやつ、やってたの。先輩すっごく楽しそうだった……レン?」
いつの間にか、レンがものすごくげっそりしている。
「……それ聞いたのか……」
「え?」
レンが小さい声で言うと、レンの端末が振動でうなり始めた。
「電話?」
「電話じゃない……」
端末を握り、レンは画面を睨みつけている。振動は止まる気配がない。
《今です。早く言いなさい》
リンには見えていないが、レンの端末にはそう表示されている。
「どうしたの?」
「……リン、これは、〈れな〉が言ってきた話だから、……っていうのを、念頭に置いてほしいんだけど……」
レンは画面の文字を睨んだまま、言葉を絞り出すように言う。
《早くやりなさい》
「なんか、その、乙女ゲーム……の、あれ、っぽいの……それっぽく振る舞うの、いろんなタイプ、やってみろ……って、言われてて」
「? レンがやるの?」
「あああああ! やっぱないよな! やめよ!」
レンは顔を真っ赤にして、端末を伏せた。端末は聞いたこともないぐらい大きな音を立てて振動する。
「聞かなかったことにしてくれ、別にこんなのやらなくても……」
レンは恥ずかしそうにしているが、リンは振動し続けるレンの端末を見ながら、考える。
確かに、リンの〈れな〉には、乙女ゲームモードのお知らせが出なかったけれど、レンが〈れな〉の自動生成プログラムなら、レンがお知らせの代わりをするのだろう。そして、レンは端末の外に存在しているわけだし、あのシルエットである必要もない。だから、レンが乙女ゲームモードっぽく振る舞う……という話になっているわけだ。
「レン、アイドルやってるんだし、そんなに恥ずかしがらなくてもできるでしょ?」
「あっ」
レンは気づかれた、という顔をする。しかし、リンはわくわくし始める。
「大丈夫だよー。私も頑張って相手するからさ!」
「頑張んなくていいよ……」
「ねえねえ、いろんなタイプあるんだよね。どんなのがあるの?」
レンは、何も言わずに、自分の端末の画面をリンに見せた。そこには、ミクの端末の画面で見たのと同じように、ボイストレーナーの性格や雰囲気が列挙されている。そして、その下には「とりあえず全部やってください」と、書かれている。
「……へえ」
「投げやりだと思わないか」
「まあ……え、でも全部やるんでしょ?」
「やりたくな……い、いや。リン、どれか、選んで……」
見えない圧力をかけられているのか、レンは震えながら、リンに端末を差し出した。
「ミク先輩は優しいお兄さんを選んでたからな〜。まずは、そういうスタンダードなやつ? がいいかな」
リンは、そう言いながら、「優しい同級生」を指差した。レンは厳しいから、優しくなるとどうなるのか、ちょっと気になるところもある。
「……分かった。じゃあ、リンの方の〈れな〉を、立ち上げてくれ。そしたら、始めるから……」
少し緊張した様子で、レンは言う。そして、リンが端末を操作するのを、じっと見る。
「レン、そんなに見なくても」
「言っとくけど、……乙女ゲーム、モードだからな」
「分かってるよぉ」
リンは笑って、〈れな〉を立ち上げた。
《お試しモードへのご協力、感謝いたします! それでは!》
一瞬、画面にはそう表示されて、画面はいつも通りに戻る。そして、リンはレンの方を向いた。すると、レンは穏やかな笑顔でリンを見つめていた。
「今日も練習を始めよっか」
「え? あ、ああ、うん!」
普段の声とは全く違う、落ち着いた声で言われて、リンはびっくりしてしまった。でも、さっき「頑張って相手する」と言ったし、きっとミクのように喜んで反応をするのが正解なのだろう。リンはとりあえず、取り繕った。
「うん、一緒に練習してくれるって、信じてたから」
レンはリンの隣に立つと、リンの端末の画面を操作した。タスクを選択する画面に、切り替わる。
「どれにする?」
タスクをやる流れのようだ。ミクのときもそうだったっけ、と思いながら、リンは画面を見つめる。
「俺は、君の歌声が聞けるなら、どれでも嬉しいよ」
「え、……どれでもいいんだ、……」
耳元で囁かれたのはくすぐったかったが、とりあえず、何かは選ばなければ。リンは先頭の「発声練習:★☆☆☆☆」を選んだ。
画面はタスクを始める状態に切り替わる。
「俺はここで見てるね、貸してくれる?」
リンの端末を受け取ると、レンはリンから離れた。そして、机に端末を置くと、レンはリンの正面に立った。
「さあ、頑張ろう。俺も、ちゃんと聴いてるから」
リンはうなずいて、いつも通りに発声練習のメロディを歌う。いつもなら、レンは横で同じタスクをやるので、正面でこんな風に見られることは、なかなかない。それに、普通ならもっと厳しい顔をしているが、ずっとにこやかな顔をしている。それでも、もし動揺して変な音程を出したら、レンには怒られそうなので、リンは精一杯歌った。
歌い終わって、リンは端末の方へ駆け寄った。
《評価:S》
よかった、とリンが思うと同時に、レンはリンの背中にそっと手を当てた。
「ちゃんとできたね」
「う、うん! ばっちり!」
「もっと聞きたいよ。くせになっちゃいそうだ」
レンがまた、耳の近くで言ったので、リンは思わず声を上げそうになったが、なんとか踏みとどまった。
「……もう一つぐらい、やった方がいいのかな?」
「そうだね。もっと君の声が聞きたいし」
ちゃんと、選んだ「優しい雰囲気」で喋り続けているレンに、リンは内心で感心しながら、別のタスクを選んだ。
今度は「発声練習:★★☆☆☆」だ。これもいつも通りに歌い終えると、レンの表情は更に優しさを増した。
《評価:S》
「よかった」
リンが呟くと、横のレンは、顔を赤くした。
「ずるいよ、俺の耳を独り占めするなんて……」
そう言うと、レンはリンの目をじっと見つめた。
「どうしてだろう、君の歌声を、何度も求めちゃうんだ。……ねえ、この気持ちは、……何か知ってる?」
リンは、思わず俯き、そして、ふきだしてしまった。
限界だ、ここまでよく耐えたと自分を褒めたい。リンは、手で自分の口を塞ぎながら、そっとレンの方を見上げた。
「リン……!」
そこには、リンの端末を握って、ものすごく怒った顔でリンを睨みつけるレンがいた。端末の画面は消されている。
「俺は真面目にやったのに!」
その顔は、あまりにも見慣れた雰囲気で、安心してしまう。
「ごめん、つい」
「ついじゃない!」
顔を真っ赤にしているレンを見て、リンはしばらく笑い声を抑えられなくなった。
「いつまで笑ってるんだ」
「ふふっ……いや、でもいると思うよ、さっきみたいなこと言われたら笑っちゃう人とか……」
「……そう、か、……なら、そういう感想だったって送ってもらう。これで終わり」
レンは、そう言いながら自分の端末の電源をつけた。
「あれ? とりあえず全部やるんじゃないの?」
「もういいよ、俺がやったって、リンは俺への先入観が抜けないだろ」
「……そんなこと言って、やりたくないだけでは?」
「……」
恥ずかしくなって、レンはずっとリンに背を向けている。しかし、レンの持っている端末は、また音を立てて振動する。
《もう少し感想のサンプルが必要です。やりなさい》
「こいつ……」
「言われてるじゃん」
リンが、レンの端末の画面を覗き込む。
「っ、そうだ、こいつが外に出てやればいいのに! 俺じゃなくても!」
画面にこの文章を表示させている〈れな〉のメインシステムが、アンケートのときと同じように、端末の外に出れば、同じことはできるはずだ。姿はレンを真似てきていたのだし。
「おい、お前ができるの分かってんだぞ。えらそうに文字だけ出しやがって」
レンは端末に向かって言う。画面の文字は切り替わる。
《以前のアンケートで、文字だけのやり取りを希望されましたので出られません》
《自動生成プログラムが代わりにやりなさい》
「こいつ……!」
うまく理由をつけられたようで、レンは地団駄を踏んだ。
「だ、大体な、先輩の〈れな〉では画面上で完結してたんだ。なんで俺がやんなきゃいけないんだ、同じようにしろよ」
「レン、諦めが悪いよ」
「リンまでそういうこと言うのか!」
リンには少し冷めた声で言われ、レンは悔しそうに言い返した。しかし、リンはにっこりした。
「お仕事と同じだと思えばできるでしょ!」
「だ、だってリン相手だぞ」
「私と一緒のお仕事もするでしょ。あ、それとも、演技の仕事は自信ない?」
「……し、仕事は、自信を持ってやらなきゃいけない……だろ」
「レンならそう言うと思った! さすが! アイドルは歌だけじゃないんだし、私はレンの隠し持ってる能力知ってるよ!」
うまくおだててくるリンに、レンは返す言葉を作り出すことができなかった。
「次は何やるの? ツンデレ? ドS?」
「……全部やらなきゃいけないんだろ……」
こうしてしばらく、色々な雰囲気のキャラクターをやらされるレンなのだった。